福永陽一郎先生の渾身の名演です。晩年の福永先生は、合唱とは何か、合唱の原点とは何かを追い求めていました。この「ドイツ民謡集」にも「新しい合唱のスタンダードを求めて」という副題が付されています。単なる懐古趣味ではなく、編曲は現代ドイツの作曲家による新しいものが選ばれているとのことです。
このときのパンフレットに、福永先生が寄稿した長文のメッセージがありますので、福永先生の強い想いを少しでも多くの方々に感じていただきたく、その一部(といってもかなり長いですが)を引用し、インターネット空間に刻み付けておくこととします。
-男声合唱団のレパートリーとしてのドイツ民謡- 福永陽一郎
旧制高校の合唱活動が、ある種のエリート意識に支えられたものであったことは、そのレパートリーが、ドイツ民謡を男声合唱団の使用に資するために編曲(ある場合には、その作業をおこなった人の意識のうえで、自分の行為を“作曲”であると認識し主張した例は、決して少なくない)したものに集中した点にも見られる。日本の外国語教育は、早くから、英語を第一の必須科目と設定し、以下、ドイツ語やフランス語などは、第二外国語として、その履修は学生の選択に任された。このような、コースの選択が、旧制高校の文系の教室でも同様であったかどうか、筆者の記憶のなかに確実な知識が存在していないけれども、その前段階である中等教育での外国語が、英語一辺倒であったことは確かだから、その一つだけ上の段階である旧制高校では、ドイツ語の読み方を知っており、ドイツ語の歌をうたうのは、かなり高揚したエリート意識と結びついたにちがいない。
<中略>
かなり以前のことではあるが、男声合唱団の通常のレパートリーの、かなり大きい部分を占めていたのが、それほど大きくない形式のア・カペラ合唱曲で、それをみんな、ドイツ語の歌詞でうたっていた。ドイツ民謡や、あるいはドイツ・オーストリー、及びスイスのドイツ語圏の簡単な形式の民謡風小曲を、当時の民衆的な数多くの歌曲を書き残したマイナーな作曲家が、男声合唱用に構成し形式にいくらかの威厳を加えて、親しみやすさを残したまゝ、演奏会のステージでも恰好がつくように仕立てたものだが、やさしいメロディは、小曲の枠組みのなかに凝縮されて、かえって磨きあげられ光沢を増しているし、また、この民衆の音楽活動としての合唱奨励運動の同じ担い手のなかに、シューベルトやシューマン、そしてブラームスも含まれていることを無視できないのと同様、この可憐な小歌曲を、つぎつぎに飽きもせず男声合唱用に編曲した作曲家の、新鮮なアイデアと手馴れた仕事ぶりとの協調が、一人の熟練工のなかで、コッソリと自慢を交わしあっているような、気の利いた目くばせを連想させるアクセントになっているのを、予想もしないときに気づかされるのは、大作曲家の大作相手に奮闘するより、どれほど楽しいか。
合唱が合唱であることを忘れ、合唱に、合唱が分担すべきでない業務を背負わせ、
合わない受け持ちに、みんなが苦しいと思い、
ほかの、合唱の受け持ちにしてこそ、らくらくと、合唱が役割を果たし、
合唱に似合う、いかにも合唱らしい声がひびきわたって、
みんなが嬉しくなる。
1986年が来て、まわれーっ右! の福永陽一郎氏が、
弱った膝で転ばないように、思いやりも、いいピッチとバランスで
うまく ハーモニーが ひびき合いますように。
1986年5月30日 ふじさわ
この強い想いを託された同志社グリーは、福永先生の想いに応え、全曲をきわめて感動的に歌い上げています。複雑で難渋な曲よりも、素朴で単純な曲のほうが、その合唱団の力が良く分かるものです。この演奏はまず第一声の声質からして違います。同志社グリーの日頃の鍛錬によって培われた実力が遺憾なく発揮され、上手/下手という段階を飛び越え、合唱の楽しさの高みへと私たちを誘ってくれるのです。こんなに気持ちの良い演奏はなかなかありません。私にとっては今でも時々取り出しては聴いている「愛聴曲」になっています。
なお、このときのステージストームで歌われた同志社の十八番「詩篇98」も驚異的な名演です。通常より半音上げて歌われ、それをTOPが最後まで晴れ晴れと張りに張って歌いきっています。まさに歌うことの楽しさを感じさせる、素晴らしい演奏です。