畑中良輔先生をして「慶應ワグネル史上最大の難曲」と言わしめた曲です。
130ページにも及ぶ楽譜、フランス語の早口、8声から10声にも分かれて様々なリズムのコーラスが絡み合う「精霊たちの合唱」等、この曲は技術的に困難を極めました。しかしそれ以上に難敵だったのは、天才作曲家ベルリオーズの狂気をどのように表現するかでした。
ベルリオーズの場合、あまりにも表現したいことがあり過ぎて、その情熱が常人の枠を超えて溢れ出してきてしまうかのようです。ベルリオーズは、新曲の初演の際、自信作であるほど評判が芳しくなく、自分の才能に疑問を持ちつつ亡くなったと聞いたことがあります。おそらく、自分の思い入れが強いほど、従来の枠から溢れ出す度合いも大きくて、演奏家や観客の拒否反応を生んでしまったのではないかと想像しています。このワグネルの「ファウストの劫罰」でも、困難さにくじけそうになる気持ちを乗り越えて、ベルリオーズの狂気の洪水の「うねり」を生み出し、お客様を飲み込んでいけるように表現することが私たちの使命でした。当初はどんな音楽になるになるのか見当もつきませんでしたが、畑中先生の魔法で、次第に「うねり」の一端をつかむことができてきたような気がしてきました。
この年(110回定演:1985年)は、名古屋、大阪、東京の3ケ所公演でした。特に大阪では、「ホール雑感」の項でも触れたとおり、男声合唱版の編曲者である福永陽一郎先生が同志社グリーの面々と一緒にザ・シンフォニーホールに聴きに来ており、演奏後にスタンディングオベイションをいただきました。また、レセプションの席だったと思いますが、「また畑中先生にやられた」「ワグネルがアマチュア合唱のレベルをまたひとつ引き上げた」とのありがたい賛辞を頂戴しました。
東京厚生年金会館の公演でも、ベルリオーズの狂気の「うねり」をお客様に伝えていけたのか、ステージとお客様が一体となって会場が一緒に呼吸しているような特別な感覚を感じることができました。歌い終えた後の万来の拍手とブラボーの嵐に包まれたことは今でも忘れられません。このときの演奏は、その場の聴衆であった方々に今でも話題にしていただけることがあり、当時ステージ上で歌っていた一人として誇らしく思っています。
ただ、蛇足ですが、この演奏以来、ブラボーの声が飛び交うことが増え、時には大したことがない演奏にもブラボーが安売りされる傾向が強まったようにも思えるのが少々残念です。