慶應ワグネルは発声偏重?(Echotamaのブログ)

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 Jagdliederをあらためて聴きながら、私が現役学生だったときの練習メニューを思いだしました。
Jagdlieder (R.Schumann)『狩の歌』シューマン(Echotamaのブログ)

「5分前集合」で16:55に体操を始めてから、17:00に発声練習を開始。曲の練習は18:00に開始して終わるのが19:20~30頃。その後19:40頃までパート練習。連絡事項等があって20:00解散でした。

 他のいくつかの合唱団も経験した身として、発声練習に1時間もの時間が充てられていたことにあらためて驚きます。また、アンサンブルの練習が1時間半足らずしかないのも珍しいと思います。

 私見ですが、当時のワグネルでは、先生の要求する声を出せるか、技術的に向上しているか、曲の解釈が自分の中できちんと理解されているか等、いずれも基本的には各個人毎に要求されているという意識がありました。気持ちの上で各先生と団員一人一人が直接向き合っているのです。これは他の団ではあまり見られない際立った特徴だったと思います。パートとしての「まとまり」や集団としての力の影響も無いわけではないのですが、各個人と先生とお客様のトライアングルが基本的な構造になっており、その総和によってワグネルの音楽が成り立つという意識が根底に流れているように思います。そのため、発声を非常に重視する習慣が根付いていたのではないかと思うのです。

 ワグネルは実は合唱団ではなくて独唱者の集団というほうが適切かもしれません。これは他団と比較すると一層鮮やかに違いが際立ちます。まず対照的なのが早稲田大学グリークラブ(ワセグリ)で、彼らは集団で魔法にかかったかのように、信じられないような感動を溢れさせる「魂の合唱」をすることがあります。1+1=10にでもなるかのようで、理屈では一切説明不能です。また関西学院グリークラブや同志社グリークラブとも全く異なっています。それらについてはまた別の項で。



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