東京六大学合唱連盟定期演奏会(東京六連)も、以前は東京文化会館等で2日間ないし昼夜公演を行っており、のべ4000人を動員する大イベントでした。しかも、それぞれの分野での第一人者と言える大御所の先生方が、揃い踏みで指揮者を務めていました。
例えば、東大の前田幸市郎先生と早稲田の福永陽一郎先生が最後に東京六連で指揮をした第38回定期演奏会(1989)では、他団の指揮者は、立教が北村協一先生、法政が田中信昭先生、明治が外山浩爾先生、そして慶應が畑中良輔先生、合同演奏が関屋晋先生という顔ぶれでした。「綺羅星のような」という言葉は、こういう時に使うのがふさわしく思います。(今から考えてみると、この翌年以降、前田先生と福永先生を喪った影響が如何に大きかったかを思わずにはいられません)
この先生方に率いられ、それぞれの団の個性が強烈に発揮されることが東京六連の最大の特色でした。優れた芸術は優れた個性によって極められていくものだと思います。男声合唱というと狭い世界だと思われる方もいるかもしれませんが、その中にも数多くの個性があり、広がりや高みが存分にある世界なのです。中でも東大のカウンターテナーによるポリフォニーや、法政の現代音楽は比類の無いものです。また、明治の多田武彦作品をはじめとする親しみやすさや、立教のリズミカルでスマートな溌剌さも、他団が真似できないものでした。もしも東京六連が無かったとしたら、日本における男声合唱の裾野は今よりも随分狭いものになっていたことでしょう。
昔も今も、中高生のコンクールなどでは、どの学校も同じような選曲をして、同じような音楽を作り上げていることが多々あります。コンクールの功罪は昔から議論になっているものですが、もしも没個性の音楽が高く評価されてしまうとしたら、それは「罪」に他ならないのではないでしょうか。
「個性」というもののあり方をあらためて考えるうえで、東京六連は多くの示唆を与えてくれていたと思うのです。