「やまとことば」に触れる上で避けて通れないのは信時潔先生作曲の歌曲集『沙羅』です。
慶應ワグネルは歌曲の編曲物を多く取り上げる合唱団だと認識されていると思いますが、木下保先生が指揮をした歌曲の編曲物は、実は唯一『沙羅』のみです。
言うまでも無く『沙羅』は信時潔先生の代表作であるだけでなく、他の『海ゆかば』などの信時作品が第二次大戦中の軍国主義とセットにされて戦後は封印されてしまう中にあって、政治的な影響を比較的受けずに演奏できる曲だったと思います。これは『沙羅』にとってまことに幸いなことでした。
信時潔先生が逝去されたのは1965年。逝去にあたり、信時作品の第一人者である木下先生は、優れた信時作品が封印されたまま歴史に埋もれてしまう危機感を抱き、未来永劫残すべしという使命感をもって、信時作品を取り上げようと決意したのではないでしょうか。そして第92回定期演奏会(1967)において、ワグネルの初めて(※)の信時作品として『沙羅』が演奏されることになったのではないかと思うのです。
(※慶應義塾塾歌を除く)
最初の『沙羅』は福永陽一郎先生の編曲でした。この後、第94回定期演奏会(1969)では、信時潔先生が元々合唱曲として作曲した『桜花(はな)の歌』『紀の国の歌』を取り上げています。私の勝手な推測ですが、おそらく92回定演の『沙羅』のとき、歌曲を合唱曲に編曲することの難しさを感じ、もともと合唱曲として作曲された信時作品も残していくことを意図されて『桜花(はな)の歌』『紀の国の歌』が選ばれたのだと思います。しかしながら、やはり『沙羅』への気持ちは抑え難く、第96回定期演奏会(1971)においてあらためて自らの編曲で取り上げることを決意したのだと思われます。木下先生版は、福永先生版よりシンプルで、元の歌曲の雰囲気をより多く感じさせるものとなっています。
この後、信時作品としては、翌年の第97回定期演奏会(1972)で『古歌』を取り上げていますが、『沙羅』は第100回定期演奏会及び第104回定期演奏会でも演奏され、4年ごとの演奏が慣例となりました。もちろん、そのときの日本語は全て「やまとことば」によるものであったことは言うまでもありません。福永先生編曲も含めれば1968~1983年卒のワグネルOBは全て木下先生指揮による「やまとことば」の『沙羅』を経験しているのです。