6月11日に父が亡くなりました。83歳没。
もともとC型肝炎による肝硬変を患っていましたが、昨年の10月29日に母を亡くしてから、周りの心配ををよそに、意地を張って一人で暮らすと宣言。しかし案の定、日に日に弱っていきました。地元で近くに住んでいる姉が、2日に1回ずつ医者へ送り迎えがてらに掃除や食事の面倒を見ていたのですが、姉の作った食事も、仕出し弁当も、まともに手をつけず、薬もきちんと飲んでいないようでした。見かねた兄が同居の提案をしたのですが拒否。かかりつけの医者からは入院を勧められたのですがそれも拒否。思案の結果、兄弟四人で順番に入院の説得をしていくことになりました。しかし兄が説得してもダメ、姉が説得してもダメ、ようやく私の番になってしぶしぶ了解。気が変わらないうちに、と急いで姉がかかりつけの医者に紹介状を書いていただき、紹介先の病院に連れて行ったのですが…、結局その場に及んでまた拒否。「○○(私の名前)に入院するって約束したんじゃないの?」「いや…八割方はそう思ったんだが、二割方はまだそう思っていないんだ…」という訳の分からない言い訳。紹介状が一通無駄になってしまいました。
その後、説得に再チャレンジ。1ヶ月以上かかって、姉がどうにかこうにか了解をとりつけ、6月6日にようやく入院させることができました。
私は6月9日(土)に帰郷して病院に見舞いに行きました。思いのほか元気で、2時間ほどとりとめのない話をして帰りました。翌日には妹が見舞いに行ったのですが、そのときも元気だったとのことでした。その翌日だった6月11日も、朝は看護師と話をするなど元気だったらしいのですが…午前10時頃に急変。そして父は午後3時半過ぎに亡くなりました。兄姉と私は間に合いましたが、妹は間に合いませんでした。私は前々日、妹は前日に元気な姿を見たばかりだったので、私も、そしてたぶん妹も、信じられないということ以外、何も考えられませんでした。
母が旅立ってから、わずか7ヶ月半。今から思えば、さびしがり屋の父は、早く母と一緒になれるように願っていたのでしょう。母のほうは「もう少し一人にしておいてほしかった」と思っていたかもしれませんが。
父は中学校の数学と理科の教員だったのですが、野球部の顧問を長くやっていました。県大会で優勝して県代表になったことも2回あります。
そのせいか、また、戦時中の教育のせいなのか、「音楽をやる人間は二流」と公言して憚りませんでした。以前にも書いたとおり、母は琴の教室をやっていて、四人もいる子供の養育費に少しは貢献していたと思いますし、母方には音楽を趣味とする人間が多くいたのですが、そんなことも一切お構い無しでした。勉強とスポーツ以外の時間は無駄だというのです。兄は望みもしないのに中学校で運動部に入ることを強制され(姉はスポーツ万能で問題なし)、私は強制は逃れて合唱部に入ることができた(変り者で極度の運動音痴だったので、たぶん母がうまくとりなしてくれた)のですが、全く信頼を得られておらず、根性がないとか、勉強しろとか、よく殴られました。
ようやく私が浪人中に音楽に理解を示してくれて、私が逆単身赴任で実家に転がり込んだとき、やっと「昔は正直なところお前には期待していなかった。よく殴ったりして申し訳なかった。今でも悪いと思っている」と言ってくれました。
今は時代も変わり、世の中も変わっていますが、いまだに「スポーツをする人間は一流。やらない人間は二流」というような価値観は、いろいろなところの奥底に流れているように思います。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」というような言葉を聞くと、私は気分が悪くなります。