福永陽一郎先生の『月光とピエロ』(ワセグリ第33回東京六連、同グリ第38回東西四連)(Echotamaのブログ)

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昭和の合唱界の発展を語るうえで、福永陽一郎先生の功績に触れない訳にはいきません。編曲者として、音楽評論家として、そして指揮者として。なかでも同志社グリークラブ、早稲田大学グリークラブ、法政大学アカデミー合唱団については一時期ほぼ常任指揮者として数々の歴史的な名演奏を残しています。法政アカデミーは混声なのでご縁は薄いのですが、ワセグリと同グリは我が慶應ワグネルの盟友です。両団は全く異なった個性を持っていますが、共通点はときに炎のような演奏をするところです。そのルーツは福永先生にあると考えているのは私だけではないでしょう。福永先生が振ると、まるで情熱が火の玉のようになって迫ってくるような思いがするのです。

その福永先生が亡くなって既に33年。慶應ワグネルは専ら編曲者としてのお付き合いでしたから、聴いた側としてのみの感想になってしまうのですが、福永先生を知っている最後の世代として、少なくとも現代にも書き残しておかなければならないと確信する演奏をご紹介します。一つは男声合唱の古典、清水脩先生作曲の「月光とピエロ」です。ワセグリ同グリの素晴らしい音源を双方とも聴くことができます。

ワセグリは第33回東京六大学合唱連盟演奏会(1984年)の演奏です。

私はワグネルに入部したばかりの一年生として、この演奏を東京文化会館大ホールの客席で聴いていました。男声合唱の演奏会自体初めてで、それまでコンクール第一主義で合唱の巧拙を判断していた私にとって、この「月光とピエロ」はきわめて衝撃的でした。破綻や雑な部分が若干ありつつも、それをはるかに凌駕する、震えるような感動を覚えたのです。次元が違います。私の合唱の価値観が根本からひっくり返りました。「やられた」と思いました。入る大学を選び間違えたと思いました。大学合唱の世界に足を踏み入れてまもなく、私は福永先生とワセグリの洗礼を受けたのです。もはや「月光とピエロ」は、福永先生に頂点までやり尽くされてしまって、もう他の演奏が入り込む余地などないと思えたほどでした。

同グリは第38回東西四大学合唱演奏会(1989年)の演奏です。

晩年(といってもまだ60歳過ぎですが)の福永先生は、「ドイツ民謡集(同志社グリークラブ第35回東西四大学合唱演奏会)」でも書いた通り、合唱の原点は何かと自らに問い、そこに立ち返ろうとしていました。この2年前に畑中良輔先生慶應ワグネルがやはり四連で「月光とピエロ」を取り上げていますが、これは「ピエロの落とし穴」で書いた通り、清水脩先生の追悼と、畑中先生の全く違ったアプローチによるもの。福永先生はあくまでもオーソドックスな直球ど真ん中、剛速球の「月光とピエロ」で天下の四連に挑んできたのです。私はこのときも客席にいましたが、もはや鬼気迫るような燃え滾る「月光とピエロ」に会場全体が包まれました。まさにこの「月光とピエロ」は伝説の名演奏となったのです。ビデオでは若かりし日の小貫岩夫先生と伊東恵司先生がステージ上にいます。両先生も福永先生の熱い思いを全身に感じつつ完全燃焼したことでしょう。そして特に伊東先生は指揮者として福永イズムを現在まで受け継いできている、いや、受け継がざるを得ない使命感を抱いているのではないでしょうか。

この同グリの演奏のわずか7か月後、福永先生は帰らぬ人となりました。まだ63歳。

「月光とピエロ」は既に男声合唱の古典として、入門編として考えている方も多いかもしれません。しかし福永先生のような優れた指揮者にかかれば、奥深い境地に至る広がりを十分に持っているのです。短い生涯のなかで、「月光とピエロ」の二つの演奏の指揮を取り上げただけでも、福永先生が合唱界の発展に果たした貢献の大きさをあらためて思わずにはいられません。



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