一昨日、「第75回東京六大学合唱連盟定期演奏会(六連、東京六連、男声六連とも称される)」を聴きに、府中まで行ってきました。一昨日は大宮で「第10回全日本男声合唱フェスティバルinさいたま」が開催されており、我々の同期会である「六三四の会」(昭和63年卒東西4大学[早慶同関]の同期)が出演し、前日には先日亡くなった早稲田のE次君の墓参もあったので、心残りだったのですが、六連を優先させていただきました。申し訳ありません。
エール交換では、福永一博先生から事前に情報があったとおり、久しぶりにCis-Dur(嬰ハ長調)の塾歌を聴くことができました。半音上がるだけで、これほどまでに響きが晴れやかに変わるのかと改めて実感。Cis-Durに親しんできたOBとして、胸が熱くなりました。
立教は17人。昨年より8名増。人数以上に響きのスケールが拡張され、「富士山」の雄大さを存分に引き出していました。
北村協一先生が立教で多田武彦作品を指揮されていた時代の記憶が自然に蘇ります。
髙坂徹先生の指揮は、テンポの伸縮が大胆に往還するもの。学生にとっては容易ではなかったはずですが、プログラム1ページを割いて語られる師への信頼が、それを成立させていることが伝わってきました。
4曲目から5曲目のアタッカ、「いきなりガッと」の直後に「夕映えの富士」をpで開始する処理など、単なる再現にとどまらない意志的な解釈が貫かれており、畑中良輔先生の系譜を感じさせるものでした。
「富士山」初演(1956年)からちょうど70年。いまだ男声合唱の規範として機能し続けていること自体が、この作品の強度を物語っています。すばらしい演奏でした。
明治は23人。「漢詩による五つの歌」は初めて聴きましたが、旋律の親しみやすさとユーモアのバランスがよく、より広く歌われるべき作品だと感じました。
難関大学でありながら、どこか庶民性と開放性を併せ持つのが明治の魅力だと思っていますが、今回の選曲はまさにその気風を体現していたと思います。
佐藤賢太郎先生の方針でしょうか、相変わらず身体を自由に動かしながら歌うスタイルも親しみが持て、「合唱をする楽しさ」を感じました。
ところで個人的な話ですが、メンバーの中に私の母校である屋代高校出身者がいました。私が慶應ワグネルに入団して40年以上経ちますが、同窓生を見つけたのは他大学を含めて初めてです。でも「屋代」って誰も知らないでしょうね。「長野県屋代」くらいにしないと、どこにあるかもわからない。
東大は7名。十八番の宗教曲です。東大の他団の追随を許さないところは、カウンターテナーの透明な響き、正確な音程、純正調のハーモニーだと思っているのですが、今年はカウンターテナーではなく通常のTTBBの男声四部合唱で、しかもピアノ付きでした。
正確で安定したハーモニーは東大ならではで、素晴らしい演奏でしたが、個人的には、カウンターテナーのアカペラでルネッサンス期の作品を聴きたかったと思ってしまいました。中央大学グリークラブが2年前に消滅してしまいましたので、唯一の貴重な強みを維持発展していただくことを強く希望いたします。
早稲田は46人。極めて個人的な感想ですが、今年は例年見られた寸劇的要素が抑えられていた点には安心しました。
一方でJ-POPの合唱については、原曲とは異なる価値をどこに見出すかという問題が常に伴い、私自身は現時点では積極的な評価を与えにくい領域です。ここではあえて踏み込みません。
法政は21名。一度は廃部になったアリオンコールが力強く復活しました。
法政の本質は、常に前衛を引き受けて、強烈なメッセージを発するところだと私は思っています。
今年は藝大在学中の若い学生への委嘱初演。Elsa Binderという少女のことは初めて知りました。ポーランド人でありユダヤ人でもあるという二重の歴史的暴力の中で、それでもなお神への希望を捨てず「春は来る」と書き残した日記。1942年以降の行方は不明で、ホロコーストの犠牲になったと推測されています。その声を、現在の時間に引き戻す試み。
その構想を成立させた学生の意志、そしてそれを支える演奏技術の双方に強い敬意を抱きました。終演後のブラボーの連続も当然と思えるステージでした。
慶應は47名。ワグネルによるドイツ語でのシューベルト。OBとしては、単なる鑑賞ではなく、ほとんど帰郷に近い感覚です。
「Geist der Liebe」以外はいずれも馴染みのある作品であり、個人的な記憶とも重なりながら聴きました。
格調高いシューベルトが聴けて、大変嬉しく、大いに誇りに思いました。
独唱・弦楽ともに安定しており、合唱が伴奏に埋没することはなく、全体として高い均衡が保たれていました。むしろ独唱はもう一段前に出てもよいのではないかと思うほどで、いずれにしても非常に質の高い演奏でした。
今回の演奏のドイツ語は、私が現役時代に叩き込まれた舞台ドイツ語とは明確に異なるものでした。優劣ではなく「設計思想の違い」として整理します。
①音色:当時は「decken(覆う)」発声を徹底し、口腔奥で響かせる暗めの音色が理想とされていました。
今回の発声はより前方で形成される明るい音色で、現代のドイツ語合唱の潮流とも一致しており、むしろかつてのワグネルの音色の方が特異だった可能性も感じます。
②子音の量:私の現役時代はもっと子音が多く飛んでいました。「子音魔王」と呼ばれた同期のK木君など、子音に命を懸ける輩までいました。今回では1曲目の冒頭のWenn、2曲目の冒頭のWieなどの[v]、Brechの[r]の巻き舌、Ichの[ç]やLaubgemachの[x]などのch、Zweigやweitなどの音節末の阻害音[k][t][p(今回無し)]が、それほど目立たなかったと思いました。特に語頭の子音の位置は、日本語では拍頭ですが、ドイツ語では拍前で拍頭の母音に先立ち発音せよと私は教えられたものです。[v]や[r]は拍前から時間をかけないと聞こえにくくなります。日本語的な拍頭処理に近く聞こえる箇所もあり、結果として子音の知覚が弱くなっていた可能性があります。
③子音の質:まず気がついたのは「L」です。舌を歯茎に密着させて離す明確な音が求められます。特に「Ständchen」では「Leise」(静かに)が頻出しますが、日本語のラに近かったように思いました。
また、「SまたはSch」はSiebsの舞台ドイツ語教本では[ʃ]1種類だけですが、私は3種類あると教えられました。一つ目はsp、stのときには口を尖らせて鋭く発音すること、二つ目はschönのようにschの後に母音がくるときには上顎を優しくこするように柔らかく発音すること、その他は日本語のシュでよいという区別です。特にDie Nachtの冒頭での「Wie schön」のschがキモですが、日本語的なシェが聞こえたような気がしました。
④母音の質:気がついたのは「I」と、語尾の「e」「er」、長母音の「o、ö、u、ü」です。
「I」の発音[ɪ]は私たちの現役時にはカタカナの「エ」に若干寄せていました。また語尾の「e」の曖昧母音[ə](いわゆる「シュワー」ドイツ語では「シュヴァー」)は顎の力を抜いた弱い「ア」に近い音で、「エ」に聞こえるとよく叱られました。さきほどの「Leise」[ˈlaɪ̯zə] は「ライゼ」と明瞭に発音されるものではなく、むしろ「ラエザ」に近い弱化を伴う音です。「ゼ」などシュワーが「エ」行になって目立ったことがあったように思いました。
また「Wasser」などの語尾の「-er」は、口語では「r」が母音化し[ɐ](ほぼ「ア」)になりますが、舞台ドイツ語では「書いてある文字は全て発音する原則」に従い[ɐ]を排除し、「歯茎ふるえ音 [ər]」と「歯茎弾き音 [əɾ]」のみが認められていました。しかし[ə]で顎の力を抜いた後に口腔前方での巻き舌をするのがドイツ語話者でも難しいので、1957年の改定で「蓋垂ふるえ音 [ʀ]」も許可されました。なお[ʁ](うがいのように喉の手前で摩擦する現代口語ドイツ語の一般的な「r」の発音)は許可されていません。私たちの頃は[ər]の口腔前方での巻き舌にこだわっていました。今回の演奏は語尾の巻き舌が目立たなかったので、改訂版に従ったのかもしれないと思いました。
昔は長母音の「o、ö、u、ü」は頬の筋肉を使ってもっと口を尖らせていました。再び「Wie schön bist du」ですが、「Die Nacht」ではこの冒頭一節だけで全てが決まると思っていましたので、私の頃との違いを如実に感じました。
昨年の定演のアンコールで演奏されたグリーグの「Ich liebe dich」が「イッヒ リーベ ディッヒ」とカタカナで聴こえたので、率直に申し上げれば、ドイツ語を鍛え直すのは大変だろうと思っていました。本来なら「エッヒ リーバ デッヒ」に近く、さらには「リーバ」の「L」はねっとりと発音されるはずです。私たちの頃は外国語にカタカナを書き込むのは禁止でしたが、「もしかしてカタカナで歌ってない?」と思ってしまいました(違っていたら申し訳ありません)。
方針として今回の演奏でのドイツ語のディクションが完成形とされるなら、時代の変化なのだろうと思います。しかし、もしも技術的未熟さがあるのなら、ぜひもっと鍛えてほしい。できれば12月の定期演奏会で、進化した再演を望みたいです。
合同は約150名の大合唱。かつての300名規模には及ばないものの、2台ピアノが聞こえないほどの音圧でした。去年が120人だったことを考えれば、ずいぶん復活してきたものだと思います。今後の六連が一層発展することを願います。

