「花野」は秋の季語です。
私の亡母は,戦前の信州では珍しい共働き夫婦(祖父は鉄道省の官吏,東京育ちの祖母が小学校の教師)の長女として生まれ,同居する曾祖父母に育てられました。母からはよく曾祖母と一緒の農作業のことを聞かされたものです。祖父が遠隔地に転勤になったとき,祖母は教職を辞して祖父についていきましたが,小学生だった母はついていかず、そのまま曾祖父母と一緒に暮らし続けました。
母は歌が好きでした。高等女学校と高校で合唱部に所属していましたし,子供の頃から琴(地歌がルーツの生田流なので歌付きが多い)を習い,子育ての間も自宅の琴の教室で歌っていました。また,台所仕事や内職の和裁の最中にもいつも鼻歌を歌っていました。太くて柔らかい,優しいアルト。それらの歌には曾祖母から伝わったものも多くあったことでしょう。
私は山形西高等学校の髙田三郎「花野」を聴いたときハッとしました。この歌は母そのものだと。中間部のアルトのパートソロは,ああ,母が歌っている…!
~~お前は歩むがいい お前の血の中で祖母がうたい続ける あの秋風の子守歌のままに~~
10月29日は母の三周年の命日です。「思い出すことが供養」とは言いますが,思い出さないことがあるでしょうか。
以前,母の実家と畑の間に,大きなクルミと柿の木が生えた原っぱがありました。今,天国で,その原っぱは晩秋の花々に埋め尽くされていることでしょう。そして,美しい信州の空の下で,母は子供に還り,大好きな曾祖母と一緒に満面の笑顔で歌をうたいながら花と戯れているように思えるのです。
「遥かな歩み」より「花野」
村上博子 詩
髙田三郎 曲
祖母たちは歌った くり返しくり返し 琴にあわせて
また 一節の青竹の笛で 哀しく 美しい契りの歌をうたった
かれらの生まれ育ったふるさととの契り
陽と雨と風と秋の実のり 嵐と飢え 涙と愛の歌
のがれられないきびしい定めの歌を
今 秋の野を歩むわたしの胸に かれらの嘆きがあふれてくる
お前は歩むがいい お前の血の中で祖母がうたい続ける
あの秋風の子守歌のままに 祖母と共に いのちの歌をうたいながら
ふみしだく草の合間に咲き乱れる桔梗 おみなえし
やさしい撫子も とぎすまされた秋の光に きらめく露を宿している
花は待っている 花の名を呼ぶ者を 野は夢みている
野に臥す者を 夜もすがら草かげに鳴く虫達のように
花と契りを結ぶ者は その色で秋の衣を染め その露に袖をしぼり
野辺に冬の陽が明けそめる日まで
遠く果てしない花野を歩んで行く