演奏旅行編(Echotamaのブログ)

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 演奏旅行は「大名旅行」だけではなく、主催者により3種類に大別できます。一つは、学校の芸術鑑賞会のように強固な主催者がバックにつき、ギャラ(出演料)が主催者持ちで「お呼ばれ」となるいわゆる「大名旅行」。二つ目は、地元の三田会(慶應のOB組織)や学生会の主催で、ギャラは貰えないけど赤字を背負うことも無いパターン。三つ目は、慶應ワグネルが主催者となり黒字も赤字も全部背負うことになる「自主公演」です。私が現役の学生だったとき、地元の長野でほぼ「自主公演」を行うこととなり、そのマネージャーをするという貴重な経験をしましたので、そのときの経験談を書き残しておきたいと思います。

 そのとき、会場の長野県民文化会館(現:「ホクト文化ホール」)の大ホールに約1300人を動員しました。合唱の演奏会でこれだけの動員数を確保することは、長野市ではもちろんのこと、東京でもあまり例が無いのではないかと自負しております。

長野演奏旅行に至る経緯

 確か、私が大学2年時の8月頃だったでしょうか。翌春の演奏旅行の場所が決まらず、演奏旅行マネージャーのFさんから「お前の地元で演奏旅行ができる可能性はあるか?」と打診を受けました。私の故郷で大都市といえば長野市になりますが、私の実家はそこから南に20数km離れた田舎町で、長野市内の予備校に1年間通った以外は買い物に行くくらいで、地元と言うのは少々はばかられる都市でした。しかし、竣工したばかりの長野県民文化会館大ホールの評判を聞いていたので、「ぜひそこで演奏してみたい」という大それたことを考えてしまったのです。

長野県民文化会館(現:「ホクト文化ホール」)外観

開催の打診

 たまたま伯父の奥さんの親戚筋に、長野市在住で慶應卒の方がいると聞き、話を伺ってみると長野の三田会(慶應のOB組織のこと)に参加しているとのこと。長野三田会主催で演奏会ができないか、その方を通じて三田会幹部とお会いすることになりました。

 会ってみると大歓迎で、ぜひ演奏会をやって欲しいとのこと。しかし、「数年前、慶應の某クラブのイベントを開催したら大赤字になってしまったので、三田会主催での演奏会は勘弁して欲しい。ただ、つい先日、三田会の呼びかけで『長野慶應学生会』を組織したので、その組織固めとしてこの演奏会を活用できたらちょうど良い。三田会でバックアップはする」というご意見でした。「長野慶應学生会」とは、長野市を中心とした長野県北部(長野県では「北信」と言います)出身の現役慶應生の親睦団体を目指すものでした。

 長野慶應学生会の会長は、「三田会からいきなり『学生会』を作れと言われただけでも驚いたのに、そのうえイベントまで主催しろというのは更に驚きだ。まだ発足したばかりで実質的な組織は全くできていない。まして演奏会の主催なんて言われても何をして良いかすら分からない。専門家の慶應ワグネルの人がやってくれないと、とても無理だ。しかし、三田会の意向であれば断るわけにもいかない…」と、困惑した様子でした。

 そもそも、長野の学生会といっても、当然普段は東京で慶應に通っているのですから、わざわざ地元と往復してイベントの準備をするほどの活動レベルを求めるのは無理です。この時点で「学生会とワグネルの共催とする」ことでようやくご納得いただき、長野三田会からもOKの返事をいただきました。私は実質的にワグネルの自主公演とほぼ同等の苦労をすることを覚悟しました。普通、自主公演をするときには、複数の出身団員がいる場合が多いのですが、このとき長野市近郊の出身者は私一人だけでした。

 東京に戻って報告すると、「主催者側に名前を連ねれば、ほぼ自主公演となるのでリスクが高いし、出身団員がお前一人だけしかいないのもかわいそうだが、他には演奏旅行の当てがないので、まあ、大変だけど頑張ってくれよ」ということで、もはやサイは投げられたのでした。

賛助団体の選定

 地方の演奏旅行において、地元の賛助団体に参加していただくことは、地元との交流をする貴重な機会となるだけでなく、集客やチケット面においても大きな力となってくれます。長野演奏会の際には、「長野市民合唱団コールアカデミー」に賛助をいただきました。

長野市民合唱団コールアカデミー

 実は、第一候補としては、私が上京前に参加していた「合唱団あい」と交渉したのですが、ワグネルと同じステージを踏むには人数に大きな差(ワグネルは60名、「合唱団あい」は30名)があることと、まだ力不足というご認識により、最終的に同意していただけませんでした。そこで、北信地区の一般合唱団としては随一のコンクール入賞歴を誇る「長野市民合唱団コールアカデミー」にお声掛けし、ご同意をいただいたのでした。

 「長野市民合唱団コールアカデミー」が取り上げたのは、混声合唱の古典的なスタンダードともいえる佐藤眞作曲の組曲「蔵王」でした。驚いたのは、この曲がニッポン放送の元プロデューサーでワグネル昭和31年卒の故・池田文雄氏の依頼によって作曲されたことをご存知の上で選曲されていたことでした。こちらでお願いしたわけではありません。どなたがそれをご存知だったのか不明ですが、絶妙な選曲といえるものでした。

 また、集客面においても、「長野市民合唱団コールアカデミー」がいなければ、1300人もの集客をすることはまず不可能だったことでしょう。

費用の算定について

 演奏旅行の出費は以下に大別されます。

①施設利用料(付帯設備利用料を含む)
②印刷費(チラシ・チケット・パンフレット)
③著作権料
④旅費

懐かしの189系特急あさま

⑤宿泊費
⑥打ち上げ費用
⑦弁当代
⑧その他

長野県民文化会館(現:「ホクト文化ホール」)内部

 ⑥と⑦は会費等の徴収により埋め合わせできますが、それ以外の出費はできる限り抑えなければなりません。

 ①はもう「長野県民文化会館大ホール」と決めてしまったので変わりようがありません。

 ②は三田会員に印刷所経営の方がいたので格安にしてくれました。ただし、大判のポスターは作成しませんでした。三田会の役員の方に「ポスターを作らなければどうやってお客を呼び込むんだ」と怒られましたが、ポスターを見たおかげで買ってくれるチケットはどんなに多く見積もっても十枚程度でしょうから、当時最低5万円はする大判ポスターはコストパフォーマンスが悪すぎたのです。

 ④は貸切バスという格安な手段もありましたが、当時まだ長野市まで高速道路が通じていなかったことに加え、碓氷峠や上田市内のような渋滞の名所が多く、時間が読めないのと、団員の疲労が心配だったので、JRの特急列車を団体割引で使うことにしました。

ただし、慶應ワグネルの演奏旅行の常として、団側で面倒を見るのは片道の運賃のみでした。演奏旅行後は、つかの間のオフになるので、そのまま皆がそれぞれあちこち旅行しつつ帰省するのが常だったためです。

 ⑤は三田会の幹部の経営するホテルを格安に提供していただきました。

 ⑧の大半は私のマネ用の旅費や通信費等です。演奏旅行という大役を抱えたとはいえ、まだ教養課程2年生の身。授業のコマ数も多いしバイトもあります。当時はまだ新幹線が通じておらず、夜行の急行列車があり、格安で時間の節約もでき、大助かりでした。金曜日の夜に東京を出て、月曜の朝に東京に戻ることを一体何回繰り返したでしょうか。くたびれましたが…。

収入について

 当然ながら、赤字にしないためには、かかる費用を上回るだけの収入を確保しなければなりません。しかしながら、演奏旅行での収入のつては、原則として、チケット負担とパンフレット広告の二種類しかありません。

 チケットは、長野に縁の無い団員に負担してもらうわけにはいかないので、地元の団員の負担が大きくなるのは仕方の無いことです。両親に頼んで1枚1000円を100枚分、10万円を拠出してもらいました。おそらく両親は、一族郎党や知人、ありとあらゆるところにチケットを頼んで回ったことと思います。私も同級生等に電話をかけ続けました。1ヶ月の電話代が4万円になったこともあります。また、恩師には、学校を直接訪ねたり、チケットを郵送したりしました。

 長野三田会や長野慶應学生会の皆さんにも、枚数や金額は覚えていませんが、チケットノルマを負担していただきました。また、賛助団体の「長野市民合唱団コールアカデミー」にも多大な負担を引き受けていただきました。

 一般売りは、実際に売れる数は期待してはいませんでしたが、コンサートチケットを扱っているプレイガイド、レコード店や書店には、必ずチラシとチケットが置いてあるようにするために、考えられる全ての店舗を回ってお願いさせてもらいました。

 また、パンフレットの広告も、三田会の皆さんを中心に多くの皆様に引き受けていただきました。また、学生会の皆様からもいくつも広告を獲得していただきました。

 パンフレットの広告は、当初は難航しました。広告のお願いに行くと、よく「君は何期?」と聞かれるのですが、私には何のことなのか分かりません。あるとき、「君は何期かも知らないのか?それとも君は長野高校ではないのか?」というので、「何期?」というのは長野高校の卒業年次のことだということがようやく分かりました。長野三田会は実質的に旧制長野中学・新制長野高校と慶應を卒業した方たちの組織だったのです。私は長野市の南20kmのところにある屋代高校出身なのですが「屋代?屋代から慶應に入れるわけないだろ。なんで屋代高校が慶應に行くんだ」とか「なんで屋代高校出身のやつに頼まれなきゃいけないんだ」とか言われる始末。私の高校時代は学区制になっていて、私の実家から長野高校に行くことはできなくなっていたのですが、昔の方にはそんなことは関係ないのですね。長野高校でないがために、なぜこのような扱いを受けなければいけないのか、いまだに悔しく思い出されます。

 しかし、ようやく広告が集まり始めると「あそこが出したのならウチも出さなくちゃ」と、勢いがつくようになるということを実感しました。お蔭様で、当初の予定ページ数を上回る広告が集まってパンフレットのページ数を増やさなければならなくなり、全体のレイアウトを急遽変更する等、嬉しい悲鳴を上げることになりました。当時のパンフレットを見返して数えてみると、パンフレットの広告だけでも50万円以上の収入を得ていたことになります。ある三田会員の方がその時言った言葉が今でも忘れられません。「お祭りの寄付みたいなもんだからな」。古きよき時代だったということでしょうか。

集客をどうするか

 収支にある程度目処がついたので、あとは集客面をどうするかです。何せ長野県民文化会館の大ホールは2200席弱のキャパシティがあります。東京芸術劇場や人見記念講堂よりも席数が多いのです。

長野県民文化会館(現:「ホクト文化ホール」)座席表

 まずは、後援していただいている教育委員会、新聞社、放送局には、すべてに招待券を送りました。もともと後援は箔をつけると同時に、招待客の来場をあらかじめ見込んでいたことは言うまでもありません。

 また、演奏会直前に「中学・高校の合唱部の顧問と部員は無料」として、まとめて集客を図ることとしました。面識のある音楽の先生は直接訪ね、その場で招待券をお渡ししてお願いをします。それ以外は、「合唱部顧問教諭殿」宛てに10枚ずつチラシと招待券を同封し、電話帳を使って、長野市内と近辺の学校に大量に送付しました。もちろん同封した文面には、慶應ワグネルの紹介文と「10人以上の部員がご来聴希望であれば、受付でお申し出頂ければ入場可能です」と書いておきました。

 当時はインターネットなど無い時代ですから、合唱部があるかどうかははっきりしないので、ほとんどバラ撒きに近い状態でしたが、今の時代であればコンクール出場歴等からピンポイントで合唱部の有無を判断できますね。

演奏会直前の叱責

 演奏会の一週間前、長野三田会が、演奏会の進捗状況を確認したいということで、長野慶應学生会と私が呼ばれました。しかし学生会は会長が所要で来られず、代理出席の方も見つからずに誰も来ない状態となってしまいました。慶應ワグネル側は私一人です。その結果、私一人だけが三田会の幹部5~6人に囲まれることとなりました。

 三田会の幹部からは、今回の演奏会が、当初の目的である学生会の組織強化につながっていないと厳しい叱責を受けました。私からは、学生会にもチケットノルマをきちんと負担していただいていること、パンフレットの広告獲得に貢献していただいていることと、そのお陰もあって黒字決算が確実であること、演奏会当日のフロントのお手伝いを引き受けていただいていることを説明し、学生会の動きが活発化していることを説明したのですが、結局納得していただけず、最後には「お前一人だけの力では客が集まるわけはない」と怒鳴られ、帰されてしまいました。目の前が真っ暗になったような気がしました。

結果はどうなった?

 運命の当日、1986年3月11日(火)を迎えました。当日、長野市は午後から雪が降りだしました。集客には最悪の環境です。降ってきた雪を見て、私は胃が痛くなりました。チケットは確か2500枚以上発券していましたが、三田会や学生会に負担していただいたチケットや、ましてや直前にバラ撒いたチケットでどのくらい足を運んでいただけるか全くの未知数です。しかも天候は雪。一週間前の三田会との出来事もあって、2階席を閉鎖し、1300席ある1階席のみにお客様を入れることとしました。

 しかし、開場の1時間も前から、長野県民文化会館の入り口に人が並び始めました。開場直前には長蛇の列となっていて、思わずフロントの面々と手を叩き、堅く握手を交わしました。嬉しくて涙が出そうになりました。

 開場の後もお客様の列は続き、まもなく1階席は大混雑となってきたので、急遽2階席も開放することとしました。「1階は満席ですので、2階席にお回りください」とお客様を誘導するように指示を出しましたが、これらの対応は、不慣れにも関わらず長野慶應学生会の皆さんがフロント要員としてスムーズに対応して下さいました。最終的には、約1300名ものお客様が、雪が降りしきる中を足を運び、大ホールを埋め尽くして私達の演奏会を楽しんでいただいたのです。今から思えば、最初から2階席も開けておけばよかったと思うのですが、1階席にいたお客様にとってはまさに「超満員」の聴衆に埋め尽くされた大演奏会に感じられたことでしょう。また、キャパシティ1000席の中ホールを使っていたら、お客様があふれて大変なことになっていたはずです。

 演奏の質も含めて、結果的に演奏会は大盛況・大成功でした。最後のロビーでのストームでは、「若き血」を皮切りに、慶應義塾のカレッジソングの数々を長野三田会の皆さんと肩を組みながら熱唱しました。団員の中には、ときに「演奏旅行で聴いたワグネルの演奏が忘れられなくて入団した」という者がいます。この演奏会をきっかけに入団したという者はさすがにいなかったようですが、お客様の心の中には確実に「慶應ワグネル」の強い印象を残すことができ、長野の地に慶應義塾の確実な足跡を残すことができたと思います。

レセプション会場は長野市で最高の格式を誇る長野ホテル犀北館(もちろん経営者は三田会員)

 その後、レセプションのとき、三田会の皆さんは上機嫌で、一週間前のことについてもお詫びがありました。また、私の両親にも労いの言葉を掛けていただいたようで、無事に故郷に錦を飾ることができたのです。

THE SAIHOKUKAN HOTEL(長野ホテル犀北館)

  • 場所: 長野県長野市県町528-1
  • 特色: 国宝善光寺と長野駅の間に立地することから観光、ビジネスの拠点として便利なホテル。(長野ホテル犀北館)