「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」死と隣り合った桜の美しさ(Echotamaのブログ)

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満開になった桜を眺め、何か危うい、恐ろしい気持ちになるのは坂口安吾だけではないようで、例えば梶井基次郎の名作「櫻の樹の下には」の冒頭文「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」を思い出した方もいるでしょう。

慶應ワグネルを長くご指導いただいた畑中良輔先生は文学にも通じていましたが、梶井の大ファンで、梶井の同人で梶井と同じく京都の三高から東京帝国大学へ進み梶井の全集も編纂した淀野隆三(フランス文学者・元明治大学教授)との交流を深めていました。畑中先生が荻窪の淀野家の近隣に居を構えたのも故あったのかもしれません。しかしまさか淀野隆三の息子(故淀野隆先輩)とその仲間が「慶應ワグネルの指導者になってください」と日参してくるとは思いもよらなかったことでしょう。もしも畑中先生が梶井の文学を愛していなければ、慶應ワグネルが畑中良輔先生という声楽界の頂点を極めた指導者を得ることは叶わなかったかもしれません。ちなみに淀野隆先輩は1989年の世界デザイン博覧会(名古屋市)にて協会プロデューサ・NTT館の総合プロデューサー、1993年の信州博覧会(長野県松本市)にて「長野県館」総合プロデューサーを務めるなど、個人的に様々な縁を感じます。

桜に話を戻すと、思い出されるのは西行法師です。晩年に詠んだ歌「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」。この歌のとおり、西行は陰暦の2月16日、すなわち如月の望月(満月)の頃に入寂したのです。新暦では1190年3月30日。花は桜に違いありません。まさに本懐を遂げたと言えましょう。なぜ西行は美しい桜とともに死ぬことを願ったのでしょうか。

桜は危うく、恐ろしい。人の正気を失わせるほど美しい。それは死と隣り合わせだからではないでしょうか。桜の美しさに狂って、殉じ散っていった命が数えきれないとは、何という悲劇でしょう。桜はますます悲劇的に美しく、狂おしいほど美しく咲いて、そして花吹雪となって儚く美しく舞い散り、何事もなかったかのように消えていきます。
(写真は自宅近隣の公園の桜です)

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