慶應ワグネルが進む道を考えるー「世界に通用する東洋人の音楽」へ(Echotamaのブログ)

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木下保先生の名唱を聴きつつ、慶應ワグネルの現状と将来について、ふと考えました。以下は慶應ワグネル三田会副幹事長という立場では一切なく、あくまでも個人としての考えです。一部問題発言もあるかもしれませんがご寛恕ください。

木下先生は世界的な視野のもと、「東洋人として西洋音楽を表現するということとは何か」という問題意識を突き詰め、その先にこそ「世界に通用する東洋人の音楽」が存在するという確信を有していたように思います。そこで、ルネサンス音楽から現代音楽に至る幅広い取り組みを絡めつつ、ドイツ音楽と日本音楽という二本柱を常に屹立させていました。とりわけ日本音楽については、沙羅をはじめ、コンポジションIII、阿波、四つの仕事唄など、不朽の名演を残しています。私が現役だった頃も、既に木下先生はお亡くなりになっていましたが、「ドイツ音楽ならワグネル」とともに「日本音楽ならワグネル」というコンセンサスが内外にあったのを確かに感じていました。

ところが、昨年末の第148回定期演奏会のプログラムで、「東洋民謡集IV」を振っていただいたキハラ良尚先生との座談会の記事を読み驚いてしまったのです。キハラ先生の言で、「なかなかこういう民謡ってワグネルさんではやらない(中略)今回、そういう新たなワグネルさんのキャラクター、側面みたいなのを引き出せるような演奏ができたらなと。」

木下先生は「ワグネルはクレッシェンドあるのみ」と仰いました。それが東洋音楽・日本音楽については、デクレッシェンドして途絶えてしまっていて、もはや「新たな側面」になってしまっていたということではありませんか。

先日の東京六連でワグネルが演奏した「輪廻」は歴史的な名演奏でした。作曲者の故西村朗先生の作品も素晴らしかったと思いますし、指揮をされた福永一博先生の力量にも感服しました。昨年のキハラ先生のご指導も助けになったのかもしれません。東洋的な歌声のうねりと、自在に変化する激しいリズム。そこにグラスハープとチベット仏教のベル(ティンシャ)が重畳され、東洋人・日本人であるワグネルにしかできない「世界に通用する東洋人の音楽」が「新たな側面」からよみがえったと感じました。

佐藤正浩先生は今年61歳になられました。昔、畑中良輔先生をお迎えし、指揮者2名体制になった際、木下先生は56歳、畑中先生は38歳でした。今後のワグネルが、もしも指揮者2名体制になるとすれば、決して早すぎるということはありません。まずは現役諸君がどのように考えるかが第一ですが、私個人としては、もう一度福永先生の演奏を聴いてみたい。勝手な懐古趣味満載ですが、ワグネルの一層の発展を願う1OBとしての希望です。

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