篠根紳浩さん(Echotamaのブログ)

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Herald(現Herald Sun)中央が篠根紳浩さん

 学生時代、慶應ワグネルでOB担当マネージャーだった私は、毎週木曜日のOB練習に出席していました。そのとき、TOPテナーの一番前で、人一倍大きな声で気持ちよく歌っていたのが篠根紳浩(しのね・のぶひろ)さんでした。カラリとした陽性の性格で、まるでイタリア人のテノールのよう。歌うことが好きで好きで仕方がないといった風でした。練習が終わって居酒屋に飲みに連れて行ってくれるときも、一番大きな声は変わりません。私の父親とほぼ同世代でしたが、人懐っこい笑顔で、学生の私ときさくに話をしてくれて、いつも楽しい時間を過ごすことができました。

 仕事が紙関係だったことを活かして、篠根さんが学生だった頃に手に入れたドイツ原書版のLiederschatzを焼き直して頒布してくれたこともあります。このLiederschatzは今でも大切に保管してあります。

 ある日、私が長野県出身だという話になったとき、珍しくボソッと「オレの疎開先は信州だったんだ。イジメられてヒドイ目にあったよ」と話してくれました。後日この話を篠根さんの同期の方に話したら「今までそんなことを話してくれたことはない。初耳だ」と驚いていました。おそらく、よほどつらい目に遭ったのでしょう。

 私が社会人になって2年目のゴールデンウィークに、オーストラリアのメルボルンに演奏旅行に行きました。打上げの時の写真が現地の新聞「Herald」に大きく載って、篠根さんの満面の笑顔が紙面を大きく飾っていました。

 その翌年に再びオーストラリアのパース、シドニーに演奏旅行に行き、シドニーでは有名なシドニー・オペラハウスで歌ったのですが、そのときも篠根さんと一緒でした。

 わずかその2年後、篠根さんは肺ガンで亡くなりました。61歳没。あまりにも若い旅立ちでした。こんなに歌が好きな人を、なぜ神様は早く天上に連れて行ってしまうのでしょうか。告別式で火葬場に向かう車を見送る際に、集まったOBのメンバーで「希望の島(のぞみのしま)」を歌いました。実の父親でもないのに、歌いながら涙があふれ出して止まりませんでした。

 早いものでもう20年以上の時が流れました。たぶん篠根さんは、今でも天上で気持ちよく大声で歌っているに違いありません。

 2022年付記:今年は没後30年です。早いものです。