本稿の題名を見て「なんじゃこりゃ」と思われると思うのですが、先日シューベルトの連作歌曲集『冬の旅』の「春の夢」を訳しながら、脳裏に坂口安吾が浮かんできてしまったのです。
声楽を少しでもかじった方なら、シューベルトの三大歌曲集が『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』『白鳥の歌』だということは耳タコだと思いますが、シューベルトの死後に遺稿を集めた『白鳥の歌』以外は、ヴィルヘルム・ミュラーの詩に作曲されています。このミュラーという人は、32歳の若さで亡くなったこともあるのでしょうが、『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』以外の作品が全く残っていません。つまり、シューベルトが曲を付けていなかったら、歴史に埋もれ、現代の私たちが知ることはなかったでしょう。
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そこでよく議論されるのは、「ミュラーの詩は文学的に優れているのだろうか」あるいは「シューベルトは優れた詩を見分ける文学的審美眼を持っていたのだろうか」ということです。
無理もない部分もあります。内容からしてもどちらも救いようがありません。
『美しき水車小屋の娘』は粉引職人の旅に出た青年が親方の美しい娘に恋をして、1回デートをOKしてもらっただけで、手も握っていないのに有頂天になり「あの娘は僕のものだ!」と叫んでしまいます。しかし美しい娘はそんなこととは関係なく狩人と仲睦まじくなり、それを知った粉引青年は小川で自殺してしまいます。純粋と言うにはあまりに思い込みが激しい自爆です。世の女性の皆様、こんな男性に好きになられたら、気持ち悪さを通り越して怖ろしさを感じるのではないでしょうか。
『冬の旅』はもっとたちが悪いです。1曲目から青年はすでに恋人とは別れていて、元恋人は登場しないので何者かもわからず、元恋人の家に「おやすみ」と書きつけて、冬の荒野の放浪を始めています。明確な話の筋立てすらありません。はっきりしているのは、永遠に春が来ないこと、永遠にさすらいの旅が終わらないこと、常に死の影がつきまとっていること、青年は永遠に絶対的に孤独であることです。良い出来事はすべてが幻で、現実の悲劇性が増すだけです。上昇することは一切なく、沈んでいくしかないのです。
こんなことを考えていたとき、私の脳裏に電気が走ったかのように慄然と坂口安吾の『文学のふるさと』が浮かんだのです。
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(後述のとおり「青空文庫」でも読めますが、本棚に入れておくことをお勧めします)
坂口安吾は『文学のふるさと』で言います。
「生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、(中略)むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。(中略)むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。」
水車小屋の娘があまりにも美しく、粉引青年の情熱があまりにも激しいほど、物語の悲劇性は増していきます。また冬を永遠に旅する青年が抱えているのは絶対の孤独――生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独です。いずれも人間の本質が孤独であることを昇華させた、きわめて優れた芸術作品ではないでしょうか。
日本が太平洋戦争へ突き進んでいった1941年(昭和16年)にあって、坂口安吾はすでに「救いのないことが救い」「文学はここからはじまる」と喝破していました。だからこそ戦後まもなく『堕落論』で「堕ちる道を正しく堕ちきることが必要」と世に問うて時代の寵児となったのです。まさに天才のなせる業と申せましょう。
そして、どこまでも救いのない詩集を編んだミュラーも、それを見出して連作歌曲を作曲したシューベルトも、まぎれもなく天才だと私は考えています。
『美しき水車小屋の娘』は、フリッツ・ヴンダーリヒの名唱を凌ぐ演奏はないでしょう。35歳で事故死してしまったことが本当に惜しまれます。
CDをお持ちになることをお勧めします。宝物になります。
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また、フィッシャー=ディースカウも良いです。
『冬の旅』は、以前ペーター・シュライヤーの演奏を紹介いたしましたが、今回はハンス・ホッターの1942年と1954年の「世紀の録音」をご紹介します。どちらもYoutubeから削除されてしまいました。「生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独」を感じるのにホッター以上の歌唱はないと思っています。渋い。渋いです。
ホッターの1954年版はこちら。また、やはりフィッシャー=ディースカウは外せないでしょう。
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坂口安吾の『文学のふるさと』は著作権が切れているので「青空文庫」で読めます。5~10分もあれば読める短い評論です。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html
以下の写真は1946年(昭和21年)12月の自宅2階の書斎。撮影者の写真家: 林忠彦は、2年ほど掃除をしたことのない「書斎を一目見て、これだ!と叫んだ」といいます。