1982年11月11日、木下保先生がお亡くなりになりました。
それまで木下保先生と畑中良輔先生の2枚看板という「ちょっと他に考えられないほど強力」(福永陽一郎先生の言)な布陣で歩んできた慶應ワグネルは、このときから畑中先生への依存度をより高めながら進んでいくことになります。幸いなことに、木下先生ご逝去の前後は、畑中先生の存在に加え、メンバーの質・量ともに高い水準が保たれていたので、屋台骨がぐらつくような事態は回避することができましたが、やはりご逝去の影響は非常に大きかったとあらためて感じます。
一つは、当然のことながら「木下保の音楽」を生み出せる人が未来永劫いなくなってしまったことです。木下先生の個性は他に比すものがなく、他のどんな音楽とも違っていました。
また、一つは、ワグネルという団体へ及ぼした変化です。例えば「ワグネルトーン」です。
私自身が木下先生ご逝去後の入団で、直接ご指導を受けた経験が無いので、録音だけからの判断ではありますが、以前の「ワグネルトーン」はテナー系の存在感が大きく、しかも明るめの声でした。それが木下先生のご指導を受けた経験があるメンバーが少なくなっていくにつれ、特にテナー系の音質が徐々に変化していき、いわゆる「オールバリトン声」になっていったのが良く分かります。それどころか、次第に「オールバリトン声」のような音質こそが「ワグネルトーン」だとする認識すらワグネル内外で生じてしまったように思います。「ワグネルトーン」は木下先生のご逝去によって大きく変化したのです。