少し鉄分の入った話で失礼します。JR国分寺駅の発車メロディが『電車ごっこ』だということに気づきました。「運転手は君だ、車掌は僕だ。……」微笑ましい、鉄道にぴったりの童謡です。国分寺は私が勤務している支店のエリア内ということもあり、より親しみがわいてきます。
ハッと気づきました。待てよ、国分寺でメロディといえば、作曲者は国分寺在住だった信時潔(のぶとき・きよし)先生では?やはり、国分寺市のサイトで大きく取り上げられていました。
「JR国分寺駅・西国分寺駅の発車メロディは市にゆかりのある曲です」
https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/machi/midokoro/1015296.html
信時潔先生といえば、慶應義塾塾歌や歌曲集『沙羅』などの作曲者として、慶應ワグネル関係者のなかでは雲の上の存在です。木下保先生が『沙羅』を吹き込んだレコードを信時先生に早速聴かせに行きたくて、前日に畑中良輔先生が代々木上原の木下先生のお宅に泊り、蓄音機がないという信時先生の国分寺のお宅まで、あの畑中先生がポータブル蓄音機を背負って行ったという逸話もあります。
信時先生は戦中までは山田耕筰先生と並び賞される巨匠でした。しかし戦後は、自身の作曲した曲が戦争に利用されたことを自戒して表舞台から姿を消し、校歌や童謡の作曲などのみで糊口をしのぐ質素な生活をおくり、受賞・受章もなく、1965年に77歳で亡くなっています(ちなみに山田先生は戦後「戦犯ではないか」と音楽評論家から新聞紙上で責められながらも、巨匠として要職を歴任し、活躍し続けて文化勲章までもらっています。山田先生を戦犯の一人だとする考えは現在も存在していますが、畑中先生のように「山田耕筰先生が第一線に踏みとどまってくれていなかったら、あたしたちは五線紙1枚も配給してもらえなかった」という声もあります)。特に信時先生で問題となるのは『海ゆかば』という曲で、玉砕を伝えるラジオ放送やニュース映画のテーマとして流され、出征兵士を送る際や学徒出陣で広く歌われた事情から、現代でも歌われる機会があると「戦争賛美?」「軍国主義?」など議論を巻き起こすデリケートな歌であり続けています。しかしながら、戦後自ら表舞台から姿を消したことこそ、信時先生が軍国主義者ではなかった一番の証拠だと思うのです。
残された作品は、「一億火の玉だ!」のような、単なる国威発揚の薄っぺらな軍歌(ただしそれを歌って亡くなっていった方々が多数いたことは忘れてはならないのですが)とはレベルが全く違うのです。例えばカンタータ『海道東征』。これも記紀の神話が題材なので封印されたようなかたちになってしまっていますが、フルオーケストラと混声合唱という大編成を自在に用いた、名曲中の名曲と言って良いと考えています。軍国主義とは全くの別物なのです。聴いていただければ一聴してすぐにわかります。
お孫さんの信時裕子様が信時先生の事績を残そうと懸命に活動されていますが、もっと信時先生を正当に評価する声が広がってほしい。今でこそ慶應ワグネル関係者内での認識は揺らいではいませんが、それ以外の皆様ではいかがでしょう。「信時潔」という名前すら埋もれつつあるということはないでしょうか。私はもちろん平和主義者で、軍国主義者ではありません。ネオコンでも嫌韓・嫌中主義者でもありません。優れた音楽を優れていると素直に言いたいだけなのです。
『海道東征』はこちら。指揮は木下保先生です。
『電車ごっこ』歌詞つきの原曲はこちら
JR国分寺駅の発車メロディはこちら