戸倉上山田温泉(Echotamaのブログ)

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会社や大学関係で「君は出身はどこなの?」と訊かれるといつも困るのです。「長野県です」(※「信州です」と言わないと危険な場合もあるのですが、これも複雑な話なので別の機会に)はまだいいとして「長野のどこなの?」の次の言葉が出てこない。屋代高校出身と言っても誰も知らないし「長野市と上田市の間です」と言っても首を傾けられます。

私は上山田町で生まれて戸倉町で育ちました。2町と隣の更埴市(こうしょくし)が平成の大合併で2003年に千曲市(ちくまし)となったので、いずれにせよ「千曲市です」と言うべきなのでしょうが、千曲川にあやかっただけの名称なので通じない。五木ひろしの昔のヒット曲「千曲川」は聞いたことがあっても具体的な場所はわからないし、せいぜいアユ釣り好きの人が知っているくらい。そういう人でも上流の方を連想されるらしく、長野市あたりでも千曲川が流れているということを昨年の台風19号の大洪水ではじめて知った人も多いでしょう。ただ、ご年配の方には「戸倉上山田温泉ってご存じですか?」と言うと通じることがあります。

信州の温泉は山の中の風情ある湯治場というイメージですが、わが故郷の戸倉上山田温泉は昭和レトロな遊興的温泉街。「信州の熱海」と言われ、高度成長期には会社員たちの団体客をターゲットにした慰安旅行で大いに栄えました。女性にとってはひどい話で申し訳ないのですが「慰安」と言えば酒と女。しかしよく知られているように長野県には条例があって、性風俗営業はできない(はず)です。「慰安」に来た旅行者たちの欲求は満たされません。行くところはストリップ劇場か、個別交渉。闇営業ですが、みんな知ってます。ストリップ劇場は浅草のロック座の支店で、堂々と「ロック座」のギラギラのネオン看板が光っていて、有名女優?が来る時には宣伝カーが小学校の周りを大音響で走っていますし、二次会が終わって温泉街の小路を歩けば、お姉さんがそこかしこで「お兄さん今夜どう?」と話しかけてきます。闇の世界に強いのは、その筋の方たち。禁酒法で大儲けしたアル・カポネと同じです。引っ掛かればいいカモ。大儲け。条例のおかげで、逆に長野県内でここだけはその筋の方がたくさんシノイでいける大事なおいしい場所になっていたのです。だからこそ以前にも書いたように関西から部隊が乗り込んできて銃撃戦が起こったりしたわけですし、そこの中学校でわがクラスのような「生徒だけによる自主授業が粛々と行われている」というのは大きな驚きだったのです。

こういう町で育って肌に沁みたのは「人は欲求によって行動する」ということです。そんな私にとって、高校生のときに読んだマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と、フロムの『自由からの逃走』は自分の進路を決定づける本となりました。そこからフロムの『疑惑と行動』、アダム・スミスの『諸国民の富』、カール・マルクスの『資本論』などと読み進めるうちに、社会学という学問の立体構造と、それが経済学という堅固な基礎によって構築されていることを痛感したのです。ここで音楽→医学→工学から、一気に文転し、→社会学or経済学に行きつきました。一回提出した理系の選択科目希望票を破棄してもらい、全部文系に書き直して再提出しました。教師からは「お前が文系に行くなら誰が理系に行くんだ?どうしたんだ?ウソだろ?」と言われましたが、もう私の気は変わりませんでした。

温泉街は私が上京したバブル期にタイ人、フィリピン人であふれるようになり、中原中也のように「これが私の故里だ」と言える雰囲気ではなくなってしまいました。しかし、次第に団体客もいなくなり、長野オリンピックまでなんとか持ちこたえた高度成長期のホテルはいくつも倒産・廃業し、S観光ホテルなどは廃墟マニア垂涎の物件になっています。今はロック座も無くなり、タイ人、フィリピン人も消え、闇営業もわずかになっているようです。以前、同級会で帰省した時、珍しく怪しい外国人がいたので「お姉さんどこから来たの?」と訊いたら「ベトナム」と言っていました。

今は少々寂れてしまいましたが、逆に風情ある温泉地になっています。その筋の方たちも儲からなくなったようで、安全になりました。上皇陛下やIOCのサマランチ会長がお泊りになった超高級旅館もある良い温泉地なのです。泉質は最高です。

今は旅行が困難な状況で、観光業は大打撃を受けています。旅行ができる状況になったら、ぜひ皆さんで戸倉上山田温泉へおいでください!

本当の芸者さん

中学の同級生の親御さんの職業は多様で、私と仲がいいA君のお母様は芸者さんです。A君は今は東京在住なのですが、わがクラスの結束力の強さはちょっと異常で、「東京3年4組会」もあり、今も半年に1度ずつA君たちと酒を飲み交わしています(今はコロナで中断中ですが)。A君は優秀だったのですが、なぜか英語だけ壊滅的に苦手で、私は頼まれて毎週日曜日に英語を個人教授しに行っていました。A君はお母様と一緒に芸者置屋に住んでいました。すなわち私は毎週置屋に通っていたのです。

皆さんは「芸者」を誤解しています。おそらくこれを読んでいる方の多くは本物の芸者とお会いになったことはないでしょう。本物の芸者を呼べる旅館の格は決められていて、社員旅行の団体客相手の旅館・ホテルでは呼ぶことはできません。しかも玉代(お金)が張ります。着物も手縫いのオーダーメイドの一流品。披露されるのは三味線と踊り、小唄や端唄の諸芸。呼ぶ側もわざわざ高い玉代を払ってそれらの品と芸を評価して楽しむだけの知識と教養がないと面白くありません。上流階級の高級な趣味なのです。日本は平等社会と言われますが、格差はあります。

ヴェルディのオペラ『椿姫』でも、高級娼婦ヴィオレッタを「娼婦」というだけで蔑んでいた父ジェルモンが、パリの上流階級の世界を知り、むしろ田舎者であることを恥じて、息子アルフレードに「プロヴァンスの田舎へ帰ろう」と諭します。まして日本の芸者さんは体を売るようなことはありません。芸事に通じたVIPを相手にしても恥ずかしくないように置屋で毎日一所懸命お稽古に励んでいます。練習に励んで良いパフォーマンスを目指すのは芸術家と同じです。男と女なので関係が生じることもありますが、それは行きずりのものではなく、長期間にわたるものになります。古来、武将、大名、明治の元勲など、芸者さんと関係を持った者は少なくなく、中には正妻になったり、後嗣が芸者さんの子供だったりするのも当たり前で、別に恥ずかしいことではないのです。近年では田中角栄氏が正妻の他に神楽坂の芸者さんと3人の子供を設けていたのが有名です。

社員旅行などで「男ばかりじゃ宴会はつまらん」とか言っているセクハラ部長を慮って、旅館に「芸者を呼んでくれ」と言って出てくるのは、芸者さんではなく、アルバイト・パートの「酌婦」です。本業は主婦だったり農家だったりするので、別に芸があるわけではありません。酒をつぐだけです。着物もレンタルです。「あの芸者たちは愛想がなくて気が利かねぇなぁ」ってぼやいている幹事さん、そんなものなのです。

「色っぽくて若い芸者を頼んでおいてくれ」と言っておくと、わざとだらしなく着た和服や、露出の多い服を着たお姉さんたちが遠くの置屋からワゴン車で派遣されてきます。この場合の置屋は稽古場などなく、大人数が詰め込まれた「タコ部屋」です。彼女たちは客にすり寄ってお酌したり、卑猥な芸を見せたりします。野球拳が代表的です。そして「延長」や「夜も一緒に」と誘導して追加料金を巻き上げていきます。これは昔なら枕芸者、今ではコンパニオンです。彼女たちは好きでやっているわけではありません。借金や精神疾患、薬、東南アジアの裏社会などの諸事情で、その道に入らざるを得なくなった女性たちです。実態は人身売買ですが、もちろん裏にその筋の人達がいます。法令をかいくぐることでシノイでいる人達ですから、刑法222条脅迫罪、刑法223条強要罪にならないように、巧みに「自ら選んだ職業」になるように「落として」います。これは戸倉上山田温泉ではなく、全国共通の問題です。

私の母が「女が社会に出るべきではない」といって自宅での三絃の教室と和裁の内職に励んだことは以前書きました。和裁の内職が成り立ったのは、手縫いのオーダーメイドで反物から仕上げる一流の和服を求める需要があったからです。戸倉上山田温泉にはVIPをおもてなしできる本物の芸者さん達がたくさんいるのです。私は4人兄弟で全員仕送りで進学させてもらいました。父のヒラ教員の安月給で足りるわけがありません。私が進学できたのは、本物の芸者さん達のおかげなのです。

芸者と酌婦と枕芸者(コンパニオン)は違うのです。職業に貴賎なしと言います。特に芸者さんを蔑む人がいるとすれば大間違いです。声を大にして言いたいと思います。