たくさんの合唱団の演奏会情報を見ると、委嘱初演に出会うことがよくあります。どんな作品でも必ず初演の時はあるわけですし、作曲家への委嘱が多く行なわれることは音楽界の発展にとって悪いことではないでしょう。初演に意欲的に取り組むことは素晴らしいことだと思います。
しかしながら、その際に私が思い出すのは、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団において木下保先生が間宮芳生先生の「合唱のためのコンポジションIII(初演時の名称は『男声合唱のためのコンポジション』)」を初演したときの言葉です。既に同作品は男声合唱の古典として確固とした地位を占め、木下先生の初演は59年も前のことになりますが、今でもその言葉の重さは変わっていないと思います。ここにその全文を引用します。
間宮芳生さんの新作品を指揮するに当って
木下 保
男声合唱のためのコンポジションが出来上って、直ちに勉強にとりかかった次第であるが、此の曲なら我々なりに或る程度の演奏が出来、作曲家にも余り失礼にあたらないであろう自信めいたものが得られて、実はホッとした。
然し演奏する慶応ワグネルソサィエティという団体は、言うまでもなくアマチュア学生団体である、勿論各自は音楽の基礎修練を経て来た者とてなく、これからも受ける必要はなく、又そんな余裕があろう筈はない。どこまでも学業の余暇に出来得る限りのことをするより仕方のない団体である。もっと極論をするなら、アマチュア学生団体が、作曲者としての生命をかけ、心血を注いで書いた素晴らしい傑作を初演すると言うことは、自惚れもいいところに違いないし、大冒険とも言える。プロ団体ならいざ知らず、アマチュア団体がそんな冒険を敢えてする必要はないし、義務もない。斯んなことを言い出すと、如何にも演奏結果の予防線でも張って居るようにとられるし、卑怯にも聞こえる。
以上述べたような事柄は百も承知で、此度間宮さんが慶応ボーイを信じて初演を任かされたのである。
信じられまかされた以上、人の善意に勇むことを知る我々知識人として自負する者共は、事情の許す限り、誠心誠意良い演奏の出来得る体制を整えて邁進しなければならない。
幸なことに慶応ワグネルの面々は、真摯な態度と若さと情熱に溢れて居る。而も我々祖先伝来の「心のふるさと」を歌った歌を歌い上げるのである。
心ある聴衆の皆さんの魂をゆさぶって見たい。
否、絶対に感銘と感動へ誘はなければならないと思って居る。
木下保先生は戦前から東京音楽学校(現:東京藝術大学音楽学部)声楽科主任教授を務め、戦後も歌曲、オペラ、合唱指揮いずれにおいてもプロフェッショナルの音楽アカデミズムの最高権威にありました。その木下先生ですら、アマチュアがプロ作曲家の作品の初演に取り組むことについて、これほどまでの「覚悟」を持っていたのです。
今、日本中で行なわれている委嘱初演時に「アマチュア団体が、作曲者としての生命をかけ、心血を注いで書いた素晴らしい傑作を初演すると言うことは、自惚れもいいところに違いないし、大冒険とも言える」と考えている指導者・構成員がどれだけいるのか、私はいぶかっています。
幸いなことに初演時の音源が良い状態で残っています。当時まだ戦後20年も経っていない、東京オリンピック前の演奏です。時代背景を考えると、驚くべき演奏クオリティと言って良いと思います。コンクールに慣れてしまった耳には、木下イズムの剛毅な演奏は特異に聞こえるかもしれませんが、「感銘と感動へ誘」われる演奏をぜひお聴きになってみてください。