単なる自慢話です。
舞台写真家の駒崎恭一(スタジオ全)さんが癌で亡くなる前にご寄贈いただいたネガをA先輩がスキャンしてくれているのですが、先日送られてきた中に1990年のシドニー・オペラハウスでの演奏会の写真がありました。
この前年、メルボルンで演奏旅行をしました。バブルの当時、日本人の経済的進出はめざましく「エコノミックアニマル」「ワーカホリック」だと揶揄されていました。その日本人ビジネスマンたちがクラシック音楽を嗜んでいるとは到底信じてもらえず(もちろん差別意識もあったでしょう)、「来て演奏してみろ」ということになり、慶應ワグネルOBの男声・女声・オケ合同でオーストラリアに乗り込んだのです。そうしたところ大変な反響となり、現地紙で大きく取り上げられ、写真には “We are not just living to make money” というキャプションがつきました。
翌年、外務省の「日豪生活文化交流の一環事業」と認められ、西オーストラリア州政府、ニューサウスウェールズ州政府の後援により、6団体合同(女声合唱団、男声合唱団、オーケストラ、OG合唱団、OB合唱団、OBオーケストラ)の総勢200人でパース、シドニーなどで演奏会を行なったのです。シドニーの演奏会場はシドニー・オペラハウス・コンサートホールでした。貝殻が重なったようなシドニーのランドマークの世界遺産です。名前は「オペラハウス」ですが、施設は収容人数2,679席のコンサートホール、1,507席のジョーン・サザーランド劇場(オペラ劇場)などで構成されています。つまりシドニーで最高の会場を提供していただいたのです。
私の妻は慶應ではないのですが、合唱経験者なのをいいことに女声に加えていただき、日本→ヨーロッパ→オーストラリア→日本というとんでもない新婚旅行をさせていただきました。職場からは呆れられましたが。でもシドニー・オペラハウスに行った日本人は多くても、その中で演奏した者はなかなかいないだろうと思います。貴重な経験をさせていただきました。
また、演奏会後のパーティーはシドニー湾のクルーズ船貸し切りというVIP待遇でした。パーティーでは地元の合唱団の皆様が揃いのトレーナーを着て迎えてくれました。私の妻はそのトレーナーを一着頂戴して、メンバーの方と10数年文通を続けておりました。
あれから30年以上。もちろんバブル期の働き方には問題も多くあり、礼賛するには気が引けますが、現代の世界の中で、バブル崩壊後の日本の経済的影響力が低下しているのは間違いありません。失われた30年です。文化の面でもどうでしょうか。サブカルチャーを含めても、日本の民度が停滞あるいは低下しているように思えるのは私だけでしょうか。