慶應ワグネルの「舞台ドイツ語」解説本を発掘しました(Echotamaのブログ)

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慶應ワグネル在籍の大学生時代にドイツ語歌唱のバイブルとされ、団員に配布されていた「舞台ドイツ語」の解説本。以前から探し出したいと思っていました。

今日、昔の資料や楽譜をひっくり返して探したら、ありました!36ページにわたる力作・大作です。

37年の時が過ぎ、紙はうっすら茶色に変色し、綴じてあるホチキスは錆だらけ。でも、中身はハッキリ読み取れます。

慶應ワグネルは現代ドイツでも使われることが少なくなった「舞台ドイツ語」の伝統を守っている稀有な団体です。

初版が澤口さんのときだったというのがちょっと意外で、案外最近(でもないか)にまとめられたものなのですね。そうすると、この冊子ができるまではどうやって「舞台ドイツ語」の伝統をつないできたのでしょう?

今の現役も、どのようにして「舞台ドイツ語」を身につけているのでしょうか。

現在、一般の演奏会などを聴きに行くと、「舞台ドイツ語」どころか「口語ドイツ語」でもない、ローマ字読みのカタカナを充てただけの発音に出会うことが少なくありません。ドイツ語の美しい歌曲・合唱曲がカタカナで歌われては台無しです。

ぜひ「舞台ドイツ語」の美しさを認識していただけるように、皆様に広めていきたい。それは早世した池口司さん(本冊子の編集)の供養にもなることでしょう。

できれば「舞台ドイツ語」のデジタル化にも着手したいと思っているのですが、大作なので二の足を踏んでおります……。

<コメント1>

私の頃の(101〜104)ドイツ語は基本的に口伝だったと思います。Umlautの発音はダグ(大久保昭男)先生に最初に徹底的に叩き込まれましたし、schの発音も基本的にブル(畑中良輔)・ダグ先生の教えを元に技術系で徹底しました。eの長母音はあまり明確な指示はなく、[i:]に近い感じでした。短母音については曲の中で都度指示が飛んで揃えていました。子音はメチャクチャシビアで、正確に発音するように厳しく教え込まれました。特に2年の六連で歌った「さすらう若人」は、7月に渡欧演奏旅行があり、オーディションで正確に発音しないと通らないと言われたくらい厳しかったです。Rは早いパッセージでも必ず巻き舌でしたし、den demなども語尾がそれとわかるようにンヌ、ンムとしっかりした発音が求められました。

現地でドイツ語の発音が良くできていたと声を掛けられたとブル先生が仰った時は嬉しかったものです。

しかしその後、ちゃんとした冊子が作られていたなんて初めて知りました。素晴らしい!

伝統はちゃんと文章など形にして残していかないと、学生団体は人が入れ替わって行くだけに伝わっていきませんよね。

<返信1>

冊子作製以前はブル先生とダグ先生からの口伝だったのですね。しかし、ブル先生の師匠はヴーハープフェニッヒ博士で、ダグ先生の師匠はハンカ・ペツォルトと矢田部勁吉(ドイツ留学経験あり)ですから、本場のドイツ語を叩き込まれたということになるのでしょう。

<コメント2>

おぉー!よく探し出してくれました!

私は、実家の何処かにしまい込んだまま。。

あのときは、学指揮の澤口さんの下宿マンションからライブラリとして残していかなきゃならないものを初代ライブラリアン亀井さんとほじくり返して。

レコード、楽譜は三田の部室に移したのですが、ワグネルの根幹をなす舞台ドイツ語に関する資料は無く。

僕らの代がやったドイツ語ってその時までは一年のときのオランダ人だけだったし。一年のときに聴いた先輩たちの六連 愛の歌新愛の歌、四連 シューベルト ほんとにかっこよかった。

スペイン語、イタリア語、フランス語。3年のときにタンホイザーやったけど、俺たち舞台ドイツ語を発揮できるような曲やってないし、ちゃんと残していけるかな? という不安もあった。

そういう資料を口承によるものじゃなくて(私らの代が後輩たちに口承で伝えていけるかという不安も含めて)、ちゃんと紙で残していかなきゃ というのが最初の動機だったと。