またまた亡父の思い出 ~野球について~(Echotamaのブログ)

スポンサーサイトも訪れてください↓

Amazonプライム「30日間の無料体験はこちら」

Amazon Audible「30日間の無料体験はこちら」

個人的な話で恐縮なのですが、本日6月11日(ちょっと過ぎてしまいました…)は私の父の命日なのです。父の日が近いこともあり、いろいろなことが思い出されます。正直なところ父には複雑な思いがあるのですが、尊敬しているところもあります。それは野球の思い出です。私の実家近辺の方々しかわからない地名もありますが、ご容赦ください。

父は野球が大好きで、中学の数学教師の傍ら、赴任先では欠かさず野球部の顧問を務めていました。まず特筆すべきなのは、まだ20過ぎの監督として五加中学(合併して戸倉上山田中学になる前)の更埴大会優勝です。長野県内の一部の範囲ではありますが、最北端は更北・川中島、最東端は松代、最西端は信州新町の一部、最南端は坂城までにわたる地域の中で、1学年にわずか2クラスしかない小規模校が優勝したのです。

また、坂城中学と、更埴西中学では県大会で優勝し県代表になっています。軟式なので、メンバーは普通の生徒たち。兵隊は一緒です。しかも父は体育教師でもありません。それなのに複数の学校を優勝させているので、やはり指導法は優れていたのでしょう。合唱のような芸術に順位をつけるのはナンセンスだと思いますが、指導法の良し悪しはあります。まして野球は勝負の世界。勝ってナンボです。父の学生時代は戦時中で野球ができる環境など無く、どこで戦術や育成法を身につけたのか見当もつきません。

父が坂城中学で県制覇したときの桜井肇投手は丸子実業高校(現:丸子修学館高校)に進学し、桃井進捕手(→電電信越→ロッテ)とバッテリーを組んで甲子園に出場しています(つまり中学と高校の双方で県大会優勝を果たしています)。私の記憶が正しければ、ドカベンの里中投手のようなアンダースローでした。父がアンダースローの指導ができたのは不思議です。なお、桜井さんの丸子での4年先輩には、一定の世代以上の慶應関係者なら誰でも知っている堀場秀孝捕手がいます。

当時の丸子の監督は中村良隆さんで、長野県内では甲子園請負監督と呼ばれていました。丸子の前から甲子園には何回も出場しており、丸子から佐久高校(現:佐久長聖高校)に引き抜かれ、夏の甲子園でベスト4の経験もあります。父は、桜井さんの結婚式で中村監督に会い「先生、桜井だけでなく、これからもいい選手を育てて(佐久長聖高校に)送ってください」と言われたと、酒を飲むたびに自慢していました。

そんな父も今は亡く、中村監督も2011年に引退してしまいました。現在は80歳を超えた頃でしょうか。監督として、指導者として、父は中村監督にはとても及びませんが、野球指導者の端くれとして、リーダーとして、一定の力量があったことは認めて良いのではないかと思うのです。

スポンサーサイトも訪れてください↓

Amazonプライム「30日間の無料体験はこちら」

Amazon Audible「30日間の無料体験はこちら」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA