「歌曲」は知られていないのね(Echotamaのブログ)

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ある夜の娘との会話。
私「歌曲もいい曲がいっぱいあるんだよ」
娘「歌曲って何?」
私「たいてい一人が歌って、ピアノや、たまにオーケストラの伴奏がつくんだ。音楽の授業で『魔王』って習わなかった?」
娘「魔王が子供をさらっていく歌でしょ。お父さんや子供や魔王が出てきてわかりやすかった」
私「そのとおり。他には知ってる?シューベルトなら、『Du holde Kunst』とか『菩提樹』とか『鱒』とか」
娘「知らない」
私「シューベルトは『歌曲の王』とも言われていて、わずか31年の生涯で600曲近い歌曲を書いたんだ。『菩提樹』は『冬の旅』っていう歌曲集の1曲で『冬の旅』は24曲からできてる」

フランツ・シューベルト

娘「それも、魔王とか、いろいろな人が出てくるの?」
私「いや。たった一人だけ」
娘「どんな歌なの」
私「失恋した若者が一人で冬の世界をさまよって、最後にはストリートオルガンのおじさんに『一緒にいさせてくれ』という話」
娘「春は来ないの?」
私「来ない。ずっと冬のまま」
娘「救いようがないじゃん。どうしようもなくて、つまんない。なんでそんな歌がいいの」
私「それが胸に沁みるんだよ」
娘「わけわかんない」
私「シューベルトの他にもたいていの有名な作曲家は歌曲も作曲しているんだよ。たとえばベートーヴェンでも『Ich Liebe Dich』とか。英語で『I Love You』という意味。シューマンなんかクララちゃんと結婚した年は嬉しくて『詩人の恋』とか愛の歌曲ばかり作ってる。ハイネとか、すぐれた詩人の詩に曲を付けるんだ」
娘「ぜんぜん知らない」
私「フーゴ・ヴォルフという作曲家は知ってる?」
娘「まったく聞いたこともない」
私「・・・」

フーゴ・ヴォルフ

ただの無知な娘と片付けるべきかもしれませんが、問題は娘がそれなりの音楽の経験を経てきているということなのです。3歳からリトミックとピアノを習わせ、小学校1年から児童合唱団に入り、中学・高校双方ともコーラス部で、NHKコンクール、全日本合唱コンクールの両方で全国大会を経験しています。全国優勝したこともあります。コンクールを目指している日本中の中高生から見れば、一握りの合唱エリートと言っても文句はないでしょう。大学でも最初は合唱サークルに入り、歌よりも某帝国大学との懇親に力を入れているのに嫌気がさして辞めてしまったぐらい、歌が好きなのです。

ちなみに私の本棚には、純粋な独唱歌曲に限定しても、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ワーグナー、ブラームス、ヴォルフ、レーヴェ、M.レーガー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、ベルリオーズ、フォーレ、マスネー、デュパルク、ドビュッシー、ショーソン、ラヴェル、アーン、サティ、イタリア古典、トスティ、シベリウス、グリーグ、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、信時潔、山田耕筰、團伊玖磨、平井康三郎、別宮貞雄、中田喜直、大中恩、三善晃、三木稔のCDがあります。これでも足りないくらいです。でも慶應ワグネルに入っていなかったら、どうだったでしょう。

恩師の畑中良輔先生は「《合唱を通じて世界の音楽に眼をひらいてほしい》というのが、ワグネルに対する私の基本姿勢である」とおっしゃった。畑中先生のおかげで少しは歌曲の奥深い素晴らしい世界に眼をひらくことができた。あのたった4年間が私の心をはるかに豊かにしてくれた。感謝してもしきれません。先生から見れば「まだまだ勉強が足りないネ」と仰られるでしょうけど…。

それにしても娘は合唱コンクールで常に全国大会に出るほどの経験を積みながら、歌曲は音楽の授業の『魔王』しか知らないとは…。同じ声楽の分野なのに、合唱と歌曲がこれほど遠いものなのでしょうか?コンクール至上主義が悪いのか、文部科学省の学習指導要領が悪いのか。受験優先の授業が悪いのか。モヤモヤは晴れません。



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