リバタリアニズム(Echotamaのブログ)

スポンサーサイトも訪れてください↓

Amazonプライム「30日間の無料体験はこちら」

岸田首相は、衆議院を解散し、19日公示、31日投開票で総選挙をする意向とのこと。

先日の投稿「自民党の総裁選挙」で、支持政党なしが国民の6割以上に達していることをお知らせしました。リバタリアニズム研究の第一人者である森村進先生の奥様で今をときめく翻訳家兼法学者の森村たまきさんが読者にいらっしゃるので、素人の私が発言しにくいのですが、少々思うところがあり投稿させていただきます。

リバタリアニズム、あるいはリバタリアンという言葉はあまり浸透しているとはいえません。しかも新自由主義や、はたまた無政府主義や極右などと誤用されて使われていることすらあります。経済学部卒で経済政策を専攻した私からすると、政治用語は人や国によって意味するところが違っており、混乱がはなはだしいように見えます(失礼ながら)。例えば「リベラル」という基本用語一つをとっても、意味が一様ではありません。しかもモノの資料によってはリバタリアニズムの経済学的支柱はミルトン・フリードマンとフリードリヒ・ハイエクだという。二人は経済学の世界では全く異なっていて対立しています。オーストリア学派のハイエクは許容できるとしても、新自由主義のシカゴ学派のフリードマンがリバタリアンとは到底思えません。

ノーラン・チャート

リバタリアンの基本的な立ち位置を示すうえでは「ノーラン・チャート」が役に立つでしょう。これまで、政治的立場を表すうえでは「右か左か」という一次元的区分けがなされることが多いわけですが、「ノーラン・チャート」ではそこに「個人的自由」という座標軸が加わります。すなわち、リバタリアニズムは経済的自由と同時に個人的自由を求める勢力です。新自由主義と混同されがちですが、新自由主義ではレーガノミクス、小泉政権の構造改革、アベノミクスでわかるように、市場原理主義は尊重しても個人の自由は求めていません。リバタリアニズムはそれだけでなく個人の社会的自由も強調し、権威への不服従や婚姻制度の廃止など、他者の自由を侵害しない限り各人のあらゆる自由を尊重しようとする立場なので、伝統的ムラ社会の保守思想と対立します。

「ノーラン・チャート」に日本の既成政党を当てはめてみます。右下には自民党が入ります。左上には立憲民主党、国民民主党、れいわ新選組が入ってくる。3党とも必ずしも左であるわけではないのですが、労組との関係や自民党との対立軸、過去の政権運営の印象などから左側へ追いやられてしまっていますし、もろもろの事情から四分五列しています。共産党はもともと左上で、しかも歴史的に一部左下の勢力を抱えています(批判があるのは承知で書きます)。

ここでわかるのは、右上のリバタリアンの政党がないことです。しかも共同体の崩壊とネット社会の伸長により、リバタリアンはますます増えていると思われます。6割にもおよぶ「支持政党なし」には、このリバタリアンが多く含まれているのではないでしょうか。しかも自民党の支持層も「他よりよさそう」という理由で支持しているケースが多いと推測され、リバタリアンの一部が流れてきている可能性があります。先日の投稿では、「支持政党なし」が多いことについて、「何の権威にも属していない有権者が投票に行って納得して投票ができる政治勢力が作られることが必要です。それはもちろんヒットラーのような新たなヒーロー、あるいは仮想敵を有さない、水平的で互助的なネットワークが必要となるでしょう。」と書きました。リバタリアンは個人的自由を求めますから、従来までのような「政党」ではなく「ネットワーク」です。今、投票に行かない層、浮動票と言われる層はこのリバタリアンでしょう。10月19日には間に合いませんが、いつかこの欠けたピースが埋まることを願ってやみません。みんな日本国民なのですから。

後日記:森村進先生からお言葉をいただきました。ハイエクとフリードマン、広くはウイーン学派とシカゴ学派の対立は誇張されているきらいがあり、かなりの程度まで調停可能で、またその方が有益だと考えているそうです。このテーマについてはマーク・スカウソン『自由と市場の経済学』がおすすめだとのこと。世の中の人たちがもっと、そうか自分はリバタリアンだったのか、と気づいてくれるといいなと森村進先生は仰っていたそうです。

『自由と市場の経済学』は早速手に入れました。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA