伊藤京子先生を悼む(Echotamaのブログ)

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ソプラノ歌手の伊藤京子先生が7月25日に老衰でお亡くなりになりました。94歳でした。畑中良輔先生の「妹分」と申し上げてもおそらく差し支えないでしょう。

1950年(昭和25年)にデビューしてから、日本を代表するプリマ・ドンナとして一世を風靡しました。オペラの当たり役はたくさんありますが、モーツァルト『フィガロの結婚』スザンナ、ヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタ、ヨハン・シュトラウス2世『こうもり』ロザリンデなど、当然ながら主役ばかり。中でも團伊玖磨『夕鶴』つうは伊藤京子先生無くしては語れない役ではないでしょうか。

夕鶴』つうを歌い始めた1960年頃の伊藤京子先生。容姿端麗。気品にあふれていらっしゃいます。

1964年(昭和39年)生まれの私が語る立場ではないのかもしれませんが、戦後には大阪発祥の勤労者音楽協議会、略して「労音」が各地に生まれました。左翼的な労働運動の一環です。大資本に対抗する労働者の手段は「団結」。労音も、団結により会費制で安く優れた文化を共有し、労働者の文化水準を高めようという目標を掲げていました。当然ながら労働運動の功罪は一口には語れず、「政治を芸術に持ち込むな」等の批判は当時からあったわけですが、文化水準の向上に果たした成果もあったと私は考えています。東西四大学に出演したワグネリアン・グリーメンは皆、東京より大阪のお客さんの方が耳が肥えていると感じていると思います。これは労音運動が大阪でより盛んであったことと無縁ではないでしょう。

東京でも、二期会や藤原歌劇団などの音楽団体の公演を、労音が2か月間などの長期にわたりまとめて買ってくれるわけです。文化予算が乏しい日本では、音楽団体が安定した収入を得るために、労音が果たしてくれた役割は大きかったと思うのです。

働き盛りのお父さんが会社の労働組合から安く融通してもらったチケットで、家族みんなで、できたばかりの上野の東京文化会館に行き、團伊玖磨『夕鶴』を観ます。つうは伊藤京子先生、与ひょうは木下保先生、運ずは立川澄人先生、惣どは平野忠彦先生。オペラのあとは地下鉄に乗って、日本橋の三越に行ってちょっとぜいたくな食事。こんな芸術的で、幸せな家族の時間を懐かしく思い出す方もいるのではないでしょうか。当時のオペラは「年配者の娯楽」だけではなかったのです。

月並な言葉ですが、あらためて一つの時代が終わったことを感じます。心からご冥福をお祈り申し上げます。



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