合唱で日本語を美しく歌うには(Echotamaのブログ)

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誰でも、自分の気持ちを表現したいと思うのは当然です。そのために、ことばを詩へと、ときに美しく、面白おかしく、あるいは叫びとして、または苦しみぬいて絞り出して昇華させ、さらにそれを歌にして表現することが「歌う」ことであると思っています。ことばがあってこそ歌があるのです。クラシックであろうが、ポップスであろうが基本は同じです。それでこそ歌は人を感動させ、人の心に残り、さらには自分もその曲を歌いたいと思う人々を生み出せるのだと思うのです。

しかし、私の考えは必ずしも一般的ではないようです。ポップスの場合は先に曲があって後から言葉を入れ込む場合があるので一部は仕方がないとしても、純粋な合唱でも、YouTubeなどを聴いていると、日本語がよく聞き取れない曲、詩が全くわからない曲に出会うことが少なくありません。

おそらくその影響でしょう。歌っている側も、基本的な日本語の扱い方を多分知らないのではないかと思うことが多いです。慶應ワグネルであれば諸先生からカミナリを落とされたであろう演奏を聴くと、何ともったいないことかと悲しくなってくるのです。

木下保先生の功績

私が所属していた慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団(慶應ワグネル)は、戦前から木下保先生のご指導を受けていました。木下先生は「日本語を西洋音楽にのせて歌う」という困難な課題に直面したパイオニアの一人です。木下先生はすでに大正10年代、音楽学生の頃、教室に日本語のカリキュラムがないことに気付いていたといいます。

もともと日本語は、舞台芸術に適している言語とはいえません。外国語に比べて子音はあいまいで、母音についても口唇も口腔内も大きく動かすことがありません。しかし日本にことばを使用する舞台芸術がなかったかというと、そんなことはなく、様々な古典芸能でことばを明瞭に伝えるための「舞台日本語」ともいえる手法が発展しているのです。

木下先生は、いわゆる古典文学・古典芸能方面に研鑽を積み、古典芸能については、大阪四ツ橋の文楽座に、2年間毎月、夜行列車で通い、舞台全体を師として、伝統芸術の強さというものを学んだといいます。

そして欧米に留学した木下先生は、「西洋の芸術歌曲には、文学の1ジャンルである詩と音楽とのかかわり合いや、それぞれの時代背景などもよく探求され、正統的な解釈法も存在し、その表現のための発声法、発語法、歌唱法などが深く追及されている」ことを痛感し、「日本歌曲の演奏を、世界的水準に引き上げ、芸術的歌曲に高めるには、解釈においても表現技術においても、客観的、論理的に構築されたメソードが確立されるべき」と考え、それを自ら「“やまとことば”の歌唱法と発声法」として創案・結実させたのです。

戦後再び木下先生のご指導を受けるにあたっては、慶應ワグネルが歌う日本語は“やまとことば”の手法を用いたことは言うまでもありません。

これらの功績により、木下先生は日本歌曲の第一人者として、日本音楽コンクールにおいては優れた日本歌曲の歌唱者に「木下賞」の特別賞が与えられ、奏楽堂日本歌曲コンクールにおいては特別賞として「木下記念賞」が設定されているのです。

なお、私は残念ながら木下先生のご逝去後に慶應ワグネルに入部したので、直接ご指導をお受けすることは叶わなかったのですが、残された多くの録音で“やまとことば”を深く知ることができました。また、木下記念日本歌曲研究会/木下記念スタジオにおいて、長女の坂上昌子先生、三女の増山歌子先生から“やまとことば”の教えを受け、坂上先生の著書「日本歌曲における“やまとことば”の歌唱法と発声法」「信時潔の作品と“やまとことば”」によって重要な示唆をいただいております。本項も両著書から多くを引用しております。

畑中良輔先生の功績

また、慶應ワグネルは木下先生と並行して畑中良輔先生のご指導も受けるようになりました。畑中先生は木下先生の弟子の一人でもあります。新国立劇場の初代芸術監督に選任されたことからもお判りのとおり、畑中先生は日本のクラシック音楽界を代表する存在でした。しかも、その大きな功績の一つとして、若き頃には日本歌曲の全国縦断コンサートを行ない、日本歌曲の発展に大きく尽くしたことも挙げられるでしょう。

また、畑中先生は、現在の慶應ワグネルの常任指揮者である佐藤正浩先生をはじめ多くの後進を育て、また、多くの教則本を著し、声楽の道を目指した者で、藝大・音大の受験前に畑中先生の著書を読んだことが無い者はいないでしょう。畑中メソードは日本の声楽界の標準となっていると言っても過言ではないと思います。私はその畑中先生のご指導を長年にわたり直接お受けすることができました。

以上のように、慶應ワグネルの演奏する日本語が、木下-畑中-佐藤各先生のご指導により、日本語歌唱の草創期から現在まで、伝統的に第一線で培われてきたものであることがお判りいただけたかと思います。

日本語のフレージング

いわゆる「節まわし」です。日本語の歌唱を議論するにあたっては、母音や子音を注目しがちですが、フレージングについて触れたものは余り多くないように思います。しかし、「日本語が日本語らしく聞こえる」ためにはフレージングがとても重要なのです。

アクセントは、高低アクセント強弱アクセント長短アクセントの三つに分けられます。標準語の日本語のアクセントは、強弱アクセントである英語とは異なり、高低アクセントである、ということはよく指摘されるところです。しかしながら慶應ワグネルでは、強弱アクセント、長短アクセントも意識していました。原則として日本語では文節の頭に強アクセント、長アクセントが存在し、新たな文節が始まることがはっきり伝わるように強調する傾向があるのです。また逆に文節の終わりのは助詞は弱アクセント、短アクセントとなります。

例示として慶應ワグネル第106回定期演奏会の髙田三郎作曲『ひたすらな道』第1曲「姫」(木下保指揮)を挙げます。

むかし そむかれて くるったひめはとりみだし
低高高 低高高低低 低高高低高低低低高高高低
強中中 強中中中中 強中中弱強中弱強中中中中
長中中 長中中中中 長中中中長中短長中中中中

さけびつづけて そのやまみちをのぼりつめ
低高高低高低低 低高低高低低低低高高高低
強中中中中中中 強弱強中中中弱強中中中中
長中中中中中中 長短長中中中短長中中中中

よく見ていただければ、複雑なことではありません。お耳が少々不自由な方に丁寧に話しかけようとするときには、きちんと内容が伝わるように、誰でもこのように発音するでしょう。すでに私たちには日本語がこのように身についているのです。そして、歌うときも同じだということなのです。

髙田三郎先生の曲は、これらの高低アクセント、強弱アクセント、長短アクセントとなるべく矛盾しないように、念入りに作られています。高低アクセントはほぼ音程の上下と一致しています。また、文節の先頭は弱起(アウフタクト(独:Auftakt))から始まる場合が多く、西洋音楽の小節内での弱拍が充てられていますが、そこを強調するために小節の最後の拍で音を長く調整できるように作られています。すなわち日本語の歌唱においては、同じ音符だった場合でも長短の差があり、長さは一様ではないのです。よく畑中先生からは「僕のテンポは微妙に動くから、自然にきちんとついてこいよ」「僕の4拍目は少し長めになるんだ。これくらい感じてくれよ」とよく叱責されたものです。

このように、高低アクセント、強弱アクセント、長短アクセントの三つを適切に使用しながら、自然な日本語をつくっていくのが日本語のフレージングの「キモ」なのです。具体的には文節の先頭にマルをつけ、助詞にはバツをつけて、素読み(音程をつけずに言葉のみリズムに合わせて読む)を繰り返す練習をするのです。

余談ですが、ピアノ伴奏も、このフレージングを理解しているピアニストかどうかで善し悪しが大きく左右されます。機械的に同じテンポを刻むのではなく、歌のテンポのゆらぎに合わせ、ついてきてくれるかが、優れたピアノ伴奏者として非常に重要なのです。

日本語の母音

母音と発声法は密接に結びついています。発声法には様々な「流儀」があり、指導者の意向が大きく影響していることと思います。例えばイタリア系のベル・カント唱法で教えを受けた方も、フランス系の指導者に習った方も、ドイツ系の指導者に習った方もいるでしょう。それぞれによって望まれる母音は日本語の表現においても異なってくるのは仕方がないと思います。

また、現代アメリカのウィリアム・ヴェナード、スイスのフレデリック・フースラー(坂上先生は『フスラー』と表記していますが、ネットでは『フースラー』表記の方が多くみられるのでそちらを採りました)の教えを取り入れた方など、千差万別だと思います。したがって、以下の記述はなるべく日本語の範疇でご理解いただけるように記述します。

前述の強アクセント、長アクセントに合わせ、強調したい母音は強く長く発音します。また、弱アクセント、短アクセントの場合はその逆となります。このメリハリをつけるのが非常に重要です。強調すべきでない母音が飛び出すと違和感を感じますので、そうならないように自然な流れを作るのがまず基本です。

あ(a)

日本語は「あ」であっても口語では口腔内が狭く、舞台発音には適していません。したがって、自分の母語でありながらも、口語日本語を舞台でそのまま使うことはできず、様々な手法から借りてきて舞台日本語の発音を構築し、訓練を積まなければならないのです。指導者が違えば異なるため、唯一の正解というものはありません。ただ、指導者は違っても「あ」は口腔を広くして発音するように指導されることは間違いないと思います。

日本の伝統芸能での舞台発音でも、口腔内を口語よりも広げて発音していることに木下先生は気付いていました。

木下先生による“やまとことば”においては、伝統芸能にならい「お」に近い母音で発音するように指導されていました。一方で畑中先生は江戸時代までの伝統芸能や江戸期以前にルーツを持つことばにおいてのみ“やまとことば”を採用していました。具体的には組曲『沙羅』の「あづまやの」「鴉」のみです。現代の詩において「お」に近い母音を使用することは、むしろ自然な日本語としては違和感が生じてしまうおそれがあります。ただしイタリアのベル・カント唱法の「ア」ほど明るく発声することは避けるように指導されました。畑中先生のご指導を採用することを私は支持します。

お(o)

「お」と「う」は、「あ」と同じように口腔内を広く保ったまま、口唇を縦に絞ることで母音を作っていきます。この点は、上下の開け方で母音を変える口語日本語と根本的に異なるので、まずは注意と訓練が必要です。流派によってもおそらく異論はないでしょう。

“やまとことば”における「お」について、坂上先生は「最も問題点の少ない唯一の母音」と述べていらっしゃいます。「ドイツ語にも明るいOの母音、暗いOの母音があることを参考にして言葉のニュアンスを生かすとよい」とのことです。日本語の場合はほとんどが明るいOの母音を採用することになると思います。

う(u)

「う」においても口腔内を広く保ったまま、口唇を縦に絞るわけですが、かなり極端に絞らないと「う」には聞こえません。また、口腔内が広いと、自然な日本語の「う」のニュアンスが伝わらず、まるで外国語のように聞こえてしまいます。

坂上先生は「違いをわきまえて、正しい発声法に歩みより、接点を見つけるべきだろう」と述べられています。すなわち発声を犠牲にしない範囲で口腔内を狭め、日本語のニュアンスを出すというバランス感覚が求められるのです。これも注意と訓練が必要です。

い(i)

日本語においては「い」は非常に扱いが難しいです。特に男声の場合は、鼻腔共鳴を軸にして発声を訓練していくわけですが、その際には響きを掴むことを優先するため、口腔を広げることは二の次です。そして響きがつかめるようになって徐々に口腔を広げて響きをより豊かにしていくのです(他のメソードを採用している指導者もいるでしょうから、これが絶対ではありません)。しかしながら口腔を広げすぎると、「う」のように自然な日本語のニュアンスが伝わらなくなるという問題が生じます。したがって「う」と同様に、発声を犠牲にしない範囲で口腔内を狭め、日本語のニュアンスを出すというバランス感覚が求められるのです。

女声の場合は頭声が主になりますから、口腔内が広くても口唇と頬の動き(口角を上げる)と舌の位置だけで「い」のニュアンスを出しやすいので、発声を犠牲にするジレンマが少なく、むしろ正しい発声ができれば言葉がついてきやすくなるでしょう。

なお坂上先生は地名や固有名詞の語頭の「い」についてはフースラーのアンザッツ3b、「いにしえ」の「い」についてはフースラーのアンザッツ3a、4を使うとよい、と著書に記されています。先述の文節の頭のアクセントの問題を解決してから、次の段階としてフースラーのメソードを取り入れる順番になると思います。ちなみに畑中先生は、地名や固有名詞を特に区別して異なった発音をすべきだ、ということまでは要求されていませんでした。

え(e)

「い」に比べると、口腔を広げつつ日本語のニュアンスを伝えることは容易だと思われます。男声、女声ともにきちんと共鳴を掴んで発声することができれば、口腔を広げても良い発声を維持することがほぼ可能となりますので、バランス感覚に悩むことは少なくなるでしょう。発声法にも流派がいろいろありますので、諸々の意見があるでしょうが、きちんとした発声ができれば「え」は美しく歌える、逆に「え」が汚いとすれば発声に問題がある、という認識は、おそらく共有できると思います。

日本語の子音

木下先生は「舞台日本語」である“やまとことば”の子音を全ての音にあてはめていました。坂上先生の著書では、明治時代以降の楽曲であっても、江戸時代までの伝統芸能や江戸期以前にルーツを持つことばにおいては全て“やまとことば”を採用すべきと述べています。また、それ以外の現代の音についても原則として強アクセント、長アクセントにあたる音(文節の頭)には“やまとことば”をあてはめていました。

一般的に口語よりも強めに発音する方が望ましいのですが、まずは強アクセント、長アクセントの子音をはっきりさせることを第一に意識することが大切です。その他の音については、それほど強調して発音しなくても、自然に言葉が伝わり、美しい日本語のニュアンスを表現することができます。やりすぎると不自然な日本語になりますので注意しましょう。

畑中先生も坂上先生とほぼ同様ですが、一部採用していない子音がありました。

なお、坂上先生からの注意として、「子音を発音しすぎると息のロスが多くなり、流れが悪くなることから、発音と息の流れの両立が難しい。息の流出、息の支え、すなわち対抗運動に留意して取り組む必要がある」とのご指摘がありました。

か、き、く、け、こ(ka,ki,ku,ke,ko)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、促音に近くkka,kki,kku,kke,kkoと発音します。

さ、す、せ、そ(sa,su,se,so)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、ssa,ssu,sse,ssoと時間をかけて摩擦音を発音します。

た、て、と(ta,te,to)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、促音に近くtta,tte,ttoと発音します。

つ(tsu)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、tssuと時間をかけて摩擦音を発音します。

な、に、ぬ、ね、の(na,ni,nu,ne,no)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、時間をかけて先取りでnを入れ、nna,nni,nnu,nne,nnoと発音します。なお、「に」だけは厳密には少々違った子音(硬口蓋と舌が触れる位置が若干後ろになる)なのですが、ネイティブの日本人は自然と使い分けているので、ことさらに意識する必要はないでしょう。

は、ひ、へ、ほ(ha,hi,he,ho)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、ドイツ語のchで発音します。

ふ(fu)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、ffuと時間をかけて摩擦音を発音します。は行の子音はp→f→hと変化してきた歴史があり、「ふ」はhuだと聞き取れない場合が多いため、少し時代を遡ってfuを使うのです。

ま、み、む、め、も(ma,mi,mu,me.mo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、時間をかけて先取りでmを入れ、mma,mmi,mmu,mme.mmoと発音します。

や、ゆ、よ(ya,yu,yo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、頭にiをつけてiya,iyu,iyoと発音します。なお、木下先生と坂上先生はiyeとyeも使用します。「え」は中世まではeとyeが並立していたものが江戸時代にyeに統一され、さらに明治期に全てeに変化したという歴史を持っています。木下先生が参考とした古典芸能ではyeが存在しているのです。しかしこちらも現代の日本語では少々違和感が拭えず、畑中先生は採用していなかったので、そちらを採りました。

ら、り、る、れ、ろ(ra,ri,ru,re,ro)

木下先生と坂上先生は、強アクセント、長アクセントにあたる音においては、頭にuをつけてura,uri,uru,ure,uroと発音するよう指示しています。発音記号[ɹ]で表される英語の場合は確かに頭にuが付きますが、発音記号[ɾ]で表される日本語は全く別の独特な子音なので、現代の日本語としてはまるで英語のような違和感があり、頭にuをつけることには疑問が残ります。例外としては、「憂い」のようにu+rの場合は英語に近い発音となりますが、すでに頭に自然にuが付いているので、ことさらに意識する必要はないでしょう。畑中先生は採用していませんでした。

わ、を(wa,wo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、頭にuをつけてuwa,uwoと発音します。また、「お」であっても旧仮名遣いで「を」となるもので強アクセント、長アクセントにあたる音(例:「をんな」「億万々」等)においては、同様にuwoと発音します。なお、助詞の「を」は、現代の日本では大半の地域でoとなっていますが、必ずwoと発音します。ゐ、う、ゑ(wi,wu,we)は日本語ではすでに中世に廃れて、i,u,eへと変化したようです。

きゃ、きゅ、きょ(kya,kyu,kyo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、促音に近くkkya,kkyu,kkyoと発音します。

しゃ、し、しゅ、しぇ、しょ(sha,shi,shu,she,sho)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、ssha,sshi,sshu,sshe,sshoと時間をかけて摩擦音を発音します。なお「しぇ」は外来語と一部の方言しか存在していませんが、一応掲載しました。

ちゃ、ち、ちゅ、ちょ(cha,chi,chu,cho)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、ccha,cchi,cchu,cchoと時間をかけて摩擦音を発音します。

にゃ、にゅ、にょ(nya,nyu,nyo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、時間をかけて先取りでnを入れ、nnya,nnyu,nnyoと発音します。

ひゃ、ひゅ、ひょ(hya,hyu,hyo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、ドイツ語のchで発音します。

みゃ、みゅ、みょ(mya,myu,myo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、時間をかけて先取りでmを入れ、mmya,mmyu,mmyoと発音します。

りゃ、りゅ、りょ(rya,ryu,ryo)

ら、り、る、れ、ろと同様に、強アクセント、長アクセントにあたる音においても、頭にuを付ける必要はないと考えます。

が、ぎ、ぐ、げ、ご(ga,gi,gu,ge,go,nga,ngi,ngu,nge,ngo)

語頭の強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、促音に近く、濁音のgga,ggi,ggu,gge,ggoを使用しますが、それ以外は鼻濁音のnga,ngi,ngu,nge,ngoを使用します。鼻濁音が存在しない地域も存在するようですが、鼻濁音が濁音になるとかなり目立ちますので、声楽の世界ではご注意ください。

ぎゃ、ぎゅ、ぎょ(gya,gyu,gyo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、促音に近くggya,ggyu,ggyoと発音します。

ざ、ず、ぜ、ぞ(za,zu,ze,zo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、zza,zzu,zze,zzoと時間をかけて摩擦音を発音します。

じゃ、じ、じゅ、じょ(ja,ji,ju,jo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、jja,jji,jju,jjoと時間をかけて摩擦音を発音します。

だ、で、ど(da,de,do)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、促音に近くdda,dde,ddoと発音します。

ば、び、ぶ、べ、ぼ(ba,bi,bu,be,bo)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、促音に近くbba,bbi,bbu,bbe,bboと発音します。

ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ(pa,pi,pu,pe,po)

強アクセント、長アクセントにあたる音においては、かなり強めに、促音に近くppa,ppi,ppu,ppe,ppoと発音します。

ん(n)

実は「ん」の発音は6種類あります。ネイティブの日本人はおおむね自然に使い分けていますが、個人の癖などもあり、合唱の場合には意識して揃える必要があります。(以下、[ ]内はIPA(国際音声記号)です。機種によっては表示されない場合もありますがご容赦ください)

[n]…一般的な「ん」です。後ろに、タ行、ナ行(ニ以外)、ラ行、ダ行が続く場合に使われます。合唱の場合に特に問題にはならないでしょう。

[m]…後ろに、マ行、バ行、パ行が続く場合には自然に口を閉じています。合唱においてはハミングを用いることになります。口唇を開けているメンバーがいたら直してあげましょう。

[N]…ウ段、オ段の言葉の語尾に「ん」がきたとき、「のどちんこ」で息をせき止めて鼻から抜く発音です。運、恩、君、紺、全てです。一瞬で息を抜くかたちになるので、音が短いため、長い音符にこの言葉がきたら後述の[ŋ]を使った方がよいでしょう。

[ŋ]…後ろにカ行、ガ行(鼻濁音含む)およびア段、イ段、エ段がきた時に使われます。口唇は開くことになりますので、閉じているメンバーがいたら直してあげましょう。地方によってはŋの発音自体が存在しない場合がありますので、鼻濁音を発音する訓練の時にŋを長く発音することも併せて教えてあげるとよろしいかと思います。

[ɲ]…後ろに「ニ」「チ」「ジ」がきたときの音です。上記のナ行の説明で「ニ」だけ少々発音が違うと述べました。その音です。ただ、ネイティブの日本語話者であれば自然にできているので、実際にはあまり意識する必要はないでしょう。

鼻母音…後ろにア行、サ行、ハ行、ヤ行、ワ行がきたときは、多くの方が「のどちんこ」も口蓋も開けたまま鼻から息を抜いて「ん」を発音しています。すなわち鼻母音です。例えば「恋愛」としゃべっていただくと、口の中が開きっぱなしなのがよく判ると思います。ただし、個人差があり、鼻母音を使用しない方もいますし、長い音符に対応しづらい方もいますので、指導者が練習時に[n]に切り替えるなどの判断が必要となる場合もあるかと思います。



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