宮坂弥五左衛門古記録(Echotamaのブログ)

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ローマ教皇来日に際して思い浮かんだことがあります。カトリックでは人のために自分の命を捧げた人を聖人に列しています。

過日の台風19号で故郷信州の千曲川が氾濫し多くの被害が出ました。その際に、江戸時代の「戌の満水」の時よりも千曲川の水位が高かったとか、低かったとか、という報道があったので調べてみました。

決壊した長野県長野市の千曲川

「戌の満水」とは1742年(寛保2年)8月に起きた千曲川の大洪水です。私の故郷の千曲川中流域の記録がないかと探してみたら、「宮坂弥五左衛門古記録」というものが国立国会図書館に収蔵されており、それによると信濃國埴科郡寂蒔(じゃくまく)村(現在の千曲市寂蒔)だけで流家65軒、潰家28軒、流死人158人となっていました。驚きました。宮坂弥五左衛門は私の母方の先祖です。寂蒔村の庄屋が代々名乗った名前で、私の曽祖父である宮坂政雄がその家の次男です。

なぜ弥五左衛門を知っていたかというと、私の母に以下の話を聞かされていたからです。

……江戸時代、寂蒔村は天領(幕府直轄領)だった。ある時、村人が困窮し、もう直訴しかないということになった。直訴は内容に関わらず死罪。弥五左衛門は、これは庄屋の役目だとし、江戸に上り、幕府に直訴した。願いは聞き入れられ村人は救われたが、掟通り弥五左衛門は斬首となった……

母は曽祖父母に育てられたので、庄屋の次男として育った曽祖父から、この話を聞かされていたのでしょう。

母は言いました「人の上に立つ人間には相応の責任が伴う。弥五左衛門さんは村人のために自分の命を捧げた。お前にもその人の血が流れていることを覚えておきなさい」

古文書の主と、斬首された弥五左衛門が同一人物であるかはわかりませんが、村人の困窮を伝える姿勢は共通しています。

この話を我が家で家内と娘にしたのですが、「今時、家とか血とか無いんじゃないの」と相手にしてもらえませんでした。……残念。



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