慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 第148回定期演奏会(Echotamaのブログ)

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【2023年12月16日:東京芸術劇場】もう一昨日のことになりますが、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の第148回定期演奏会を聴いてきましたので、その感想など。

50名ないし51名で、キャパ1999人の東京芸術劇場を音楽で満たしてくれました。OBとしての欲目もありますが、素晴らしい、圧巻の演奏だったと思います。一つ一つの音に、緊張感と、エネルギーが漲っています。大学のクラブ活動で、アマチュアに過ぎない団体が、合唱という芸術の世界でこれほどの存在として君臨しているというのは、あらためて驚くべきことです。それには学生の日頃の努力もさることながら、諸先生方の導きの尊さを思わずにはいられません。

普通の演奏と何が違うのでしょうか。頭に浮かんだ言葉は「芸術性」です。芸術性が高いとはどういうことなのか。この問いは多くのプロの芸術家たちですらその答えを求めて、たどり着けずにいるものですので、安直に表すことはできません。しかし、芸術とは表現するものですから、緊張感とエネルギーが満ち溢れていることは最低限必要です。それによってこそ感動が生まれるのです。ただの技術的な巧拙であれば、感心は得られても、感動を呼び起こすことはできないでしょう。

畑中良輔先生はおっしゃいました。「美しいものは、何の努力もなしに得られはしない」。この言葉でいう努力とは、技術的な鍛錬はもちろんながら、美を求める精神の強靭さを磨き上げることも要求しているのだということを忘れてはなりません。単なる精神論ではありません。このメッセージの最後は「歌を通じて更に高い世界へ。音楽を、芸術を通じて、より人間らしい人間へなるように、君たちも、そして、私自身もっともっと努力しよう!」という言葉で締めくくられています。慶應ワグネルはただ歌うだけでなく、歌を通じてより高い世界への上昇を希求する団体なのです。この違いが演奏に如実に表れていると言うことは自惚れすぎでしょうか。今回客演で指揮をしてくださったキハラ良尚先生も、インタヴューの記事で「慶應ワグネルを初めて聴いたとき、芸術的な団体だと感じた」とおっしゃっています。キハラ先生も、慶應ワグネルの目線の高さと芸術性を感じ取っていただいたのだと思うのです。

一点残念に思ったのは、キハラ先生のインタヴューのなかで、「東洋民謡集Ⅳ」を選曲した理由として、「(慶應ワグネルは)こういうもの(民謡)はやっていないかなと」いうことを挙げていたことです。しかし、キハラ先生がお振りになっている東京混声合唱団とも縁の深い、間宮芳生先生作曲で日本の民謡をベースとした「合唱のためのコンポジション」について、第3番は慶應ワグネルの委嘱初演で、その後もニューヨークで歌ったり、定期演奏会等でも何度も取り上げているのです。第6番の演奏経験もあります。また、三木稔先生の「阿波」、小山清茂先生の「四つの仕事唄」も歌っています。これらは全て木下保先生の指揮で、ドイツ留学時に「日本の美しい伝統文化を粗末にして居たことを恥じた」と記していらっしゃいます。木下先生がお亡くなりになって40年。忘れられてしまったのも無理からぬことではありますが、民謡を含め日本の曲も慶應ワグネルの重要かつ比類のないレパートリーであったことを再び想起していただきたいのです。

諸先生の優れたご指導により培った土台を常に欠くことなく広げていき、さらに高い世界を築いていくことを続けてほしい。慶應ワグネルにはクレッシェンドあるのみなのです。

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