ショスタコーヴィチ交響曲第13番「バビ・ヤール」(Echotamaのブログ)

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今年は第二次世界大戦後70年。将来の歴史家が20世紀を解説するときは「戦争と大量殺戮の世紀」と呼ぶのでしょう。20世紀ソ連の作曲家ショスタコーヴィチの交響曲も戦争と切り離せないものが多くあります。第7番「レニングラード」。「スターリングラード交響曲」と呼ばれる第8番。第9番で「戦争三部作」、そして私が勝手に「戦争四部作」と呼んで戦争交響曲シリーズの決着をつけたと思っている第10番。この4交響曲についてはいずれ書きたいと思っているのですが、もう一つ忘れてはならないと思うのは第13番「バビ・ヤール」です。

「バビ・ヤール」とは現ウクライナの首都キエフ郊外にある峡谷の名前です。重い話になって恐縮ですが、第二次大戦時のホロコーストと言えばアウシュヴィッツが真っ先に挙がるでしょうが、バビ・ヤールは日本では余り知られていないように思います。ご自分を人道主義者だと思う方はバビ・ヤールを知るべきです。死者の数は数万~十数万人。いまだに全容は明らかになっていません。しかも死者にはユダヤ人だけでなく、政治犯、ロマ、精神病患者などが含まれていたといいます。しかもユダヤ人等を連行するにあたってはナチだけでなく現地のウクライナ警察(すなわちソ連自身)が協力していました。

ドイツ軍がキエフを占領し、ユダヤ人の殲滅が指令されました。しかし誰がユダヤ人なのか、外からきたドイツ兵にはわかりません。ウクライナ警察が喜んで協力し、ユダヤ人はもちろんのこと、ウクライナ人の独立を回復しようとする活動家など、当時のスターリン政権にとって不要・不都合な人間がリストアップされました。なぜユダヤ人を含めリストアップができたのか。当時の警察にとってユダヤ人は差別の対象であり、憎しみのはけ口でした。「ソ連には人種問題は存在しない」という建前とは裏腹に、ソ連でもユダヤ人を襲撃・殺傷する「ポグロム」が行われていました。日本でもポグロムまではエスカレートしていませんが、ヘイトスピーチが行われ、嫌韓論書は花盛りです。私がこんなことを書いただけで「おまえは本当に日本人なのか」と言われかねない勢いです。さらには、密告から情報を集めて、無辜の国民を粛清・強制労働に充てるのも日常茶飯事でした。ちなみに20世紀を代表するピアニスト・リヒテルの父もドイツ系というだけでスパイの嫌疑をかけられウクライナのオデッサで銃殺刑になっています。対象者は即座にバビ・ヤールに集められ、機関銃で皆殺しにされました。

交響曲の第一楽章はエフゲニー・エフトゥシェンコの詩「バビ・ヤール」が題名となっています。

エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・エフトゥシェンコ

私はユダヤ人だと思える
私はアンネ・フランクだと思える
ドレフュスは私であると思える(世界史を習った方は「ドレフュス事件」という名前は記憶されているでしょう)
私は数万の虐殺された人々の上にいる
私はここで銃殺された老人だ
私はここで銃殺された子供だ
だが奴らは厚かましくも名乗ったのだ「ロシア民族同盟!」
私の身体の中に、ユダヤの血はない
だが私は憎まれる 全ての反ユダヤ主義者達に ユダヤ人として
だから、私は真のロシア人なのだ!

これを日本に当てはめてみると、あれまあ。

私は韓国・朝鮮人だと思える
私は在日だと思える
私は中国人だと思える
私は数万の虐殺された人々の上にいる
私は松代大本営に徴用されて死んだ朝鮮人だ
私は南京で虐殺された子供だ
だが奴らは厚かましくも名乗ったのだ「日本民族同盟!」
私の身体の中に、大陸の血はない(DNA上ではあるみたいです)
だが私は憎まれる 全ての反韓・反中国主義者達に 韓国・朝鮮・中国人として
だから、私は真の日本人なのだ!

……果たして、根強い差別に抗すべく、毅然として言えるでしょうか。私はこのような行為に敢えて取り組んだエフトゥシェンコとショスタコーヴィチを尊敬します。

以降をいちいち書くともっと長くなるのでさわりだけ。全て詩はエフトゥシェンコ。
第二楽章「ユーモア」どんなに斬られたってユーモアは死なないぞ!ユーモアに栄光あれ!
第三楽章「商店で」(社会主義国でおなじみだった)極寒のロシアの商店に行列する女たちは女神だ!
第四楽章「恐怖」ロシアで密告や粛清は死のうとしているが、偽善や虚偽という新たな恐怖がはびこっている。
第五楽章「出世」ガリレオ・ガリレイを例に「バカ者こそが危険を冒し、偉大になり、歴史に残る!」

ソ連は労働者によって建設された理想の国というのが建前です。民族問題などは存在しないことになっています。まして警察(政府)が率先してホロコーストに手を貸していたとは!また第二楽章以降も体制の批判そのものです。当然初演には出演しないように政府から圧力がかかり、指揮者、独唱者は何人も代わったそうです。演奏会場も共産党のお役人が陣取り、会場の周囲は警官隊が取り囲む状態だったとか。

ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ

ところが演奏が終わると会場は「ブラ・ボー・ショス・タ・コー・ヴィッチ! ブラ・ボー・エフ・トゥ・シェン・コ!」のリズムカルな掛け声と万雷の拍手に迎えられたそうです。共産党のお役人に囲まれていたのに。これが民度というものですよ。日本は民度が高いなどと言った某大臣は、ナチスの手法を真似ると言ったぐらいですから、バビ・ヤールなんてご存じないでしょう。でもユダヤ人は忘れません。2600年前のバビロン捕囚だって忘れていませんから。一方日本では、先日の東京都知事選挙で桜井誠氏が5位で17万8784票も獲得しています。在日特権を許さない市民の会(在特会)元会長でヘイトスピーチの総本山ですよ。ドイツではヘイトスピーチやホロコースト否定発言をしたら民衆扇動罪で禁固5年です。

ホロコーストにウクライナ警察(ソ連)が加担したという歌詞はタブーとされ、エフトゥシェンコとショスタコーヴィチは、その後ソ連政府から書き換えを命じられ、全てナチがやったことで、ユダヤ人だけでなくウクライナ人の活動家や聖職者などソ連政権下で不都合だとされた者たちも被害者に含まれていたのを逆手にとって、「ナチがロシア人、ウクライナ人を大量に殺戮した」という歌詞に変えるように、作詩のエフトゥシェンコとショスタコーヴィチは圧力を受けました。ショスタコーヴィチはいつでも元に戻せるように鉛筆で書き直したそうです。そしてソ連崩壊が近くなり、ペレストロイカが始まると、元のままで演奏されるようになって現在に至っています。

ロシアの指揮者、ヴェレリー・ゲルギエフは、英国BBCの音楽の祭典“PROMS”において、格式あるロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、あえてバビ・ヤールを取り上げています。ゲルギエフはロシア人の中の少数民族オセット人で、ロシアと紛争(『オセチア紛争』という言葉を記憶されている方もいるでしょう)している間柄ではありますが、音楽家としてのキャリアをロシアで踏んでいて、ロシア出身ではないということも困難でしょう。満州出身の小澤征爾が日本の歴史を批判する交響曲をウィーンで振るようなものです。自らの出身国家が犯した負の歴史と向き合い、それを国外で、しかも7000人を収容するロイヤル・アルバート・ホールで演奏する。その姿勢にこそ「自らの祖国に向き合う愛と勇気」を感じるのです。ゲルギエフは真のロシア人です。わざわざ危険を冒すバカ者です。偉大です。歴史に残ります。

ヴァレリー・アビサロヴィチ・ゲルギエフ

SHOSTAKOVICH Symphony No 13 in B flat minor op 113 Dir Valery Gergiev Orq Mariinsky theatre – YouTube

(PROMSの動画が削除されてしまったので、代わりにマリインスキー劇場の動画を貼り付けます)

この問題作を日本で初演したのはプロではありません。1975年12月7日、早稲田大学交響楽団、早稲田大学グリークラブ、独唱:岡村喬生です。まだ学園紛争の余韻が残る時代だったと思います。この挑戦的な姿勢を貫いたバカ者たちに敬意を表したいと思います。これも歴史に残る偉業です。



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