パラリンピックに寄せて(Echotamaのブログ)

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重たい話で恐縮です。去る9月2日は「オーストリアの作家」ヨーゼフ・ロートの誕生日でした。彼が生まれたのは1894年、オーストリア=ハンガリー二重帝国の辺境の地、現在はウクライナ領のブロディというシュテットル(ユダヤ人町)で、ハプスブルク帝国の国民であるというアイデンティティを持ち、ドイツ系のギムナジウムでドイツ語で教育を受けました。彼のような東方ユダヤ人の歴史を書くと、それだけで1冊の本が書けてしまうような複雑な民族構成の中から出でて、彼はウィーン大学に進みドイツ文学を学びました。その後彼は従軍し、さらにはジャーナリスト、作家となります。

しかし、第一次大戦の敗戦と、ハプスブルク皇帝の退位によって、中欧に何百年も君臨した大帝国オーストリア=ハンガリー二重帝国は一瞬で雲散霧消し、音楽の都・花の都のウィーンはオーストリアという小さな共和国に不釣り合いな大首都でしかなくなってしまいました。ロートは出生証明書を偽造してオーストリア国籍を取得して、ドイツを中心に、ドイツ語での文筆活動を続けます。このとき書かれた長編『ラデツキー行進曲』は、一族の歴史を描いた傑作として、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』に比肩される畢竟の名作です。

ラデツキー行進曲(上) (岩波文庫)

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ラデツキー行進曲(下) (岩波文庫)

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上中下3冊セット  ブッデンブローク家の人びと  トーマス・マン  岩波文庫

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しかしナチスの台頭により、ユダヤ人のロートのドイツでの活動は不可能となり、さらには1938年のオーストリア併合によって、ロートはパリに亡命します。妻フリーデリケは精神を病んでいてウィーンの病院に残さざるをえず、治療費にも事欠く有様でした。そこで彼は酒に救いを求め「飲まなければ死んでしまうが飲めば死んでしまう」状況となり、最期は1939年に自伝的な『聖なる酔っぱらいの伝説』という傑作を書き、同年に44歳の若さでパリで客死しました。

聖なる酔っぱらいの伝説 他四篇 (岩波文庫)

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妻フリーデリケはナチス・ドイツのT4作戦(精神障がい者や身体障がい者に対して行われた強制的な安楽死政策)により1940年に殺害されています。ちなみに「T4」とは安楽死管理局があったベルリンの「ティーアガルテン通り4番地」の略で、現在同地にはベルリン・フィルハーモニーがあります。

私が大学2年のとき、ドイツ語の教科書に『ラデツキー行進曲』の一部が載っていました。指名された私が朗読し終わると、教室内から拍手と歓声が巻き起こりました。当然です。まずはロートのドイツ語が非常に美しい。また、慶應ワグネルはドイツ語が十八番で、ローマ字読みとは全く違う「舞台ドイツ語」をみっちり仕込まれます。当時音大に進学した友人に「ドイツ語が大変なんだよ」と話したら、「え?ドイツ語は簡単じゃん。ほとんどローマ字読みだし」と言われて、音大でもそんなものなのかと驚いたことがあります。しかも当時のBASSパートリーダーは悪名高いN氏。率直に言わせていただければ、4年のN氏より2年の私の方が上手だと認めたくなかったし、目障りだったのでしょう。私は目の敵にされて、「てめえの発音は汚ねぇ」「母音も子音も違う!」「Rが聞こえねぇ」「Verdorre(しぼむ)の日本語訳を言ってみろ」「音程が悪い」ちょっとでも隙を見せれば「ヘタクソ!」「お前なんていらねぇ」「(合宿中)今すぐ荷物まとめて帰れ」「退部しろ。二度と顔見せるな」イジメそのものです。こっちも、ワグネルに入部するために慶應に入ったようなものですから、退部するわけにはいきません。寝ないで辞書と格闘して、発音練習して、N氏に文句を挟まれないようにして、翌朝「お前!退部しろって言ったのにどうしてまだいるんだよ」という攻撃をかわさなければいけません。練習量なら誰にも負けない自信がありました。学校の授業で舞台ドイツ語で朗読して、教授とクラスメートを驚かすくらいは朝飯前になっていたのです。

イジメ、パワハラ、偏見、嫌がらせ、差別、優生主義、ホロコースト、ジェノサイド、etc.……。すべて人権を侵す不法行為・人道に対する罪です。もちろん程度の多寡はありますが、その根っこに共通してあるのは、優越感を満たしたいという欲求とコンプレックスの解消です。

私は人権を守るためにあらゆる差別と闘いたい。障がいや差別と闘う人を応援したい。その気持ちは常に持ち続けております。

1926年のヨーゼフ・ロート



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