問題発言あり?合唱が「強い」は大間違い ~コンクールの悪弊を批判する~(Echotamaのブログ)

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ネットで合唱のことを調べていたら、Yahoo知恵袋に「合唱の強い大学、または一般の団体はどこですか?」という質問が上がっているのを見つけて、思わず笑ってしまいました。ついでに調べてみたら「合唱強い大学ってドコ?」というスレも5ちゃんねるに存在していました。そういえば昨年のコンクールの時、「やっぱり(娘の母校)は強いわねー」というLINEがお友達から妻に届いていましたっけ。

合唱が「強い」ですか!根底から間違っています。合唱はスポーツじゃなくて芸術ですよ。おそらくコンクール至上主義に染められてしまっているのでしょう。オリンピックのように順位をつけて、評価の軸は1本しかない考え方です。しかしこの考え方は広く浸透してしまっていて、NHK全国学校音楽コンクール、全日本合唱コンクールはもちろん、学校のクラス対抗の合唱コンクールに至るまで、全国に当たり前のように根付いてしまっているのです。

そういう私も高校時代まではコンクール至上主義者で、大学合唱団は京都産業大学グリークラブが日本一だと思っていたことは「合唱コンクール必勝法を求めて?」でも書いたとおりです。それが大学一年坊主の六連で「福永陽一郎先生の『月光とピエロ』」でノックアウトされ、「ネーニエ(哀悼歌 Nänie op.82)」のとおり四連の畑中良輔先生のブラームス『哀悼歌』に感動し、わずか3か月で改宗したのです。合唱団の優劣はコンクールとはほぼ関係ないという考えは、現在も変わっていません。

四連の盟友である関西学院グリークラブのキャッチフレーズは「日本一の合唱団」です。全日本合唱コンクールで一位になっていることを指しているのは言うまでもありません。確かに「都留文科大学合唱団の演奏をYouTubeで聴いてみました」で書いた通り、「うまさに感心」「欠点がなく安心して聴ける」のがコンクール常勝の彼らの長所で、慶應ワグネルには同じことはできないので素晴らしい合唱団だと思いますし、心から尊敬しています。しかしもともと我々が求めているものは彼らとは全く違っていて、コンクールに勝つことではなく、選りすぐりの名曲によるみずみずしい感動なのです。コンクールに出る気持ちはもともとありませんし、どちらが優れているかと比べること自体がナンセンスなのです。少し踏み込んで言わせていただければ、関西学院グリークラブはあくまでもコンクールという狭い世界の中で「日本一」だっただけで、評価の軸を変えれば「日本一の合唱団」はいくらでもあります。例えばコンクールで同志社グリークラブはコンクールで関西学院グリークラブの後塵を拝していることが多いですが、これまで残してきた実績を比較して、同志社よりも関学が優れているとは一概に言うことはできませんし、迷いなく同志社を推す専門家も多いことでしょう。関西学院グリークラブはちょっと「日本一」という言葉を安易に使いすぎで、コンクール至上主義の悪弊を助長しているように思うのは私だけでしょうか。

コンクールという競技会の1本の評価の軸の勝ち負けで、合唱という芸術に「強い」という概念を持ち込むことは間違っていると私は思います。ぜひコンクール目線でなく、「名演奏ライブラリー」のいくつかをかいつまんでお聴きいただき、芸術としての合唱の素晴らしさを感じていただきたいと思います。


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