母の命日から10年(Echotamaのブログ)

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また個人的な長文で失礼します。今日10月29日は母の命日からちょうど10年なのです。

昔は50歳や60歳になっても母を思い出すなんて考えもしませんでした。私が単なるマザコンなのでしょうか(笑)。

母の音楽の才能については何度も書きました。私は天才の息子の凡才。そんな私でも、合唱部に入った中学1年の時、長野県の音楽界では知らない人がいない顧問のFK先生に「音楽の道に進まないか」と言われ、声楽はもちろん、和声学を教えてもらって作曲のまねごとをしたり、指揮法の手ほどきを受けたりしました。どの道に進むにしてもピアノは必須です。

母に「ピアノを習いたい」と言い、中学1年の3学期から母の従妹の先生を紹介してもらいました。しかし、うまくならない。同じころ、妹に関しては「権威ある先生につかせないとかわいそう」と言っていて、兄妹なのにもかかわらず、私が劣っているのは明らかでした。

私のピアノの先生は音楽教師の免許も持っていて、育児休職の教師の穴埋めの経験があったのですが、私が中学3年になるとき、どうしても断れなくて教壇に立つことになってしまいました。ピアノの弟子は絞らざるを得ません。母に呼ばれました。

「お前の才能では音楽で食べていくのは無理だから、趣味にとどめておきなさい。ピアノを習うのもやめなさい」

父のように闇雲に「音楽をやる人間は二流だ」と言われるのとは重みが全く違いました。私は素直に従ってしまいました。

長じて慶應ワグネルに入っても、「オレは音楽をあきらめた人間だから」ということで、技術系の役職はなるべく避けて、歌は一般団員として歌いました(それでも素晴らしい体験でしたが)。活路はマネージャー職に求めました。

会社に入ってから、部下のSK女史とTSさんと一緒に大阪へ出張に出かけたときです。帰りの新幹線の中の話題。TSさんの息子さんは野球のシニアに入っていて、当然目指すのは野球で食べていくことです。「どこまで行けるかわからないけど、野球が大好きなんですよ」と聞いたとき、自然に私の目から涙が溢れて、SK女史とTSさんがいる前で、大泣きしてしまいました。

……俺は音楽が大好きだったんじゃないのか。わずか14歳でどうしてあきらめてしまったのか。どうして「これからもっと努力するから続けさせてくれ」と言えなかったのか。「行けるところまで行かせてくれ」と言えなかったのか。俺の音楽への想いはその程度のものだったのか。それほどまでに母の音楽の才能には敵わないと思っていたのか。俺は母に負けたんだ。そして自分に負けたんだ……。

亡くなって10年経った今でも思うのです。母は偉大だった。母とは勝負にならなかった、と。