萩尾望都『ポーの一族』「春の夢」と「ユニコーン」(Echotamaのブログ)

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この季節になると、どうしてもシューベルトの連作歌曲『冬の旅』について、何かしら書き残したくなります。
しばしお付き合いください。

歌曲は詩を伴う表現なので、歌曲そのものを題材にした文学作品があってもよいように思うのですが、私の知る限り、あまり思い当たりません。
ところが漫画には、萩尾望都先生の『ポーの一族』シリーズのなかに、「春の夢」と「ユニコーン」という作品があります。
特に「春の夢」は、『冬の旅』の第11曲の題名そのものです。
お読みになった方はいらっしゃいますか?

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私は漫画をそれほど多く読む方ではありませんが、『ポーの一族』は大好きです。
この作品は、「純文学以上に純粋に純文学」と言ってよい芸術作品だと思っています。

エンタメ小説や一般的な漫画は、読者を主人公に共感させ、物語世界に誘うことを前提とします。
しかし『ポーの一族』シリーズは違います。誰の側に立って読めばよいのか分からず、正義の視点も固定されません。読者は宙吊りにされ、主人公への同一化を拒否されます。
しかも、感情や恋愛を期待する読者にあえて背を向け、物語がキャラクターを救うこともありません。
「永遠」は希望ではなく倫理的負債となり、「救いがないことが救い」という倫理が、冷ややかに貫かれています。
まるでトマス・マンのように高潔で、ドイツ文学的です。
歌曲を題材にしてくださった萩尾望都先生には、まず深い敬意を表したいと思います。

ただし、少々疑問に思った点もあるのです。

「春の夢」は、ナチス・ドイツから逃れ、ハンブルクからイギリスに渡ってきた少女ブランカが、ハンブルク時代に、父のピアノで母が歌っていた曲として、物語の前半から登場します。家族の美しい思い出のモチーフになっているのです。

以下は『冬の旅』第11曲「Frühlingstraum(春の夢)」の歌詞です。

  1. Frühlingstraum
       春の夢

Ich träumte von bunten Blumen,
   僕は色とりどりの花の夢を見た。
So wie sie wohl blühen im Mai,
   5月に咲くような花。
Ich träumte von grünen Wiesen,
   僕は緑の草原の夢を見た。
Von lustigem Vogelgeschrei.
   陽気な鳥たちの鳴き声。

Und als die Hähne krähten,
   そして雄鶏が鳴いて
Da ward mein Auge wach,
   僕は目が覚めた。
Da war es kalt und finster,
   寒い。暗い。
Es schrieen die Raben vom Dach.
   屋根の上ではカラスが鳴いた。

Doch an den Fensterscheiben,
   しかし窓ガラスに
Wer malte die Blätter da?
   誰が葉っぱを書いたのだろう?
Ihr lacht wohl über den Träumer,
   葉っぱは夢を見た僕のことを笑っている。
Der Blumen im Winter sah?
   冬に花を見たんだって?

Ich träumte von Lieb’ um Liebe,
   僕は愛にあふれる夢を見ていた。
Von einer schönen Maid,
   美しい乙女。
Von Herzen und von Küssen,
   通じ合う心とキス。
Von Wonne und Seligkeit.
   喜びと至福。

Und als die Hähne krähten,
   そして雄鶏が鳴いて
Da ward mein Herze wach,
   僕は目が覚めた。
Nun sitz’ ich hier alleine
   僕は一人ぼっちで座っている。
Und denke dem Traume nach.
   そして夢について考える。

Die Augen schließ’ ich wieder,
   僕はもう一度目をつぶる。
Noch schlägt das Herz so warm.
   心はまだとても暖かい。
Wann grünt ihr Blätter am Fenster,
   窓の葉が緑になるのはいつ?
Wann halt’ ich mein Liebchen im Arm?
   僕の腕が愛しい人を抱きしめるのはいつ?(拙訳)

ご存じの通り、「春の夢」とは、夢の喜びを歌う曲ではありません。
夢の中の幸福と、目覚めた後の現実の悲惨さとの落差を歌っています。

シューベルトの連作歌曲『冬の旅』は、恋に破れた青年が、冬の荒野を彷徨う24曲から成り、最後まで春は訪れません。
シューベルトが友人たちに初めてこの曲集を聴かせた際、あまりの暗さに場が凍り付いた、という逸話も残っています。

家族で睦まじく歌うような曲ではありません。
「僕の腕が愛しい人を抱きしめる」ことは永遠に訪れず、つきまとうのは救いようのない「死の影」です。
死の象徴であるカラスが、ここでも現れます。

「春の夢」はまさに「夢」であり、甘美であればあるほど、現実の悲しさが際立つのです。

ところが漫画の中では、この曲が美しい思い出のモチーフとして使われ、主人公エドガーはこれを「美しい愛の詩」と言います。
ここに、私はどうしても違和感を覚えてしまいます。

もしかすると、バンパネラの「一族」には永遠に春が来ないこと、そして少女ブランカにも永遠に春が来ないことが、題名の時点で暗示されている、という解釈なのでしょうか?

ただ、そのわりに、作中ではこの曲を歌っているのは母親という設定になっています。
しかし『冬の旅』の語り手は、明確に青年、すなわち男性です。

女性が歌う場合――たとえば白井光子さんのように――「ich(私)とは誰なのか?」という根源的な解釈の再構築が必要になります。これは慎重さを要する問題です。

根源的な再解釈を前提にしつつ、暗示は既知のものとして扱う。
そうだとすると、小さな矛盾を感じてしまうのです。

ついでに「ユニコーン」では、ブランカがリヒャルト・シュトラウスの『四つの最後の歌』を歌う場面があります。
ユダヤ人であるブランカが、ナチスに持ち上げられたリヒャルト・シュトラウスの曲を歌うことに、バリーが嫌味を言うのは妥当な指摘だと思います。

ただ問題は、この話の設定年が1958年であることです。

『四つの最後の歌』は1948年作曲、1950年初演ですが、当初の評価は芳しくなく、「老作曲家の懐古趣味」と見なされていました。
この曲が広く評価されるようになるのは、1968年発売(録音は1965年)の、シュヴァルツコップとジョージ・セル指揮による名演奏以降です。

R.シュトラウス歌曲集/四つの最後の歌

  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1996/02/21
  • メディア: CD

1958年の時点で、アマチュアのブランカがこの曲を知り、ぜひ歌いたいと思い、ピアノリダクションの総譜を入手して発表会で歌う――その可能性は、かなり低いように思われます。

こんな話を妻にしたところ、
「萩尾望都さんほどの人なら、紫綬褒章も受けていて、設定を間違えるわけがないでしょう。周囲のスタッフもいるだろうし、あなたの方が間違っているんじゃないの?」
と、一笑に付されてしまいました。

……うーむ。やはり、ただのアマチュアでは太刀打ちできないのかもしれません。



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