確か五反田の専修寺幼稚園での練習時だったと思います。早慶交歓演奏会(東西四連が大阪で開催される年に東京で開催される演奏会)の直前の練習に畑中良輔先生、三浦洋一先生を迎えました。普段「別室」で基礎練習をしている一年生の私達にも、ステージ上の畑中先生の後ろの狭いところでギューギューになって体育座りをしながら練習を聴くことが許されました。
三浦先生の前奏が始まると、シーンと静まり返った緊張感みなぎる練習場にブラームスの世界がたちまち充満しました。並のピアニストであれば息切れしてしまいそうな長い前奏ですが、三浦先生のピアノは最後まで歌い切り、その後にトップテナーの歌声が始まります。「美しいものでさえも、死なねばならない」F.シラーの言葉が何度も胸に突き刺さります。普段の練習とは全く違った世界が目の前に広がっていることに戸惑いつつも、感動がゆっくりと、かつ大河のように滔々とあふれ出してくるのです。
そして、「見よ、全ての神々が泣いている。美しいものが滅び、完全なものが死んでゆくのを」というフレーズが繰り返され、いずれも「美しい」(Schöne)という言葉を頂点に、先に濃厚なff(フォルティッシモ)、後には静寂なpp(ピアニッシモ)が歌いあげられます。
こんな甘美でとろけるようなSchöneというドイツ語のffは今まで全く聴いたことが無く、「これが慶應ワグネルのffなのか」と衝撃を受けました。また、ppのところでは、畑中先生の叱責が何度も飛びます。「違う。もっともっと小さく。ゼツミョーのピアニッシモ」「ダメ、違う。もっと緊張感を持って」。練習場の中でさえ聴こえるかどうかという、微かで濃密なSchöneのpp。こちらも今まで未体験の、畑中先生とワグネルならではの世界です。私は、震えるような感動を抑えることが出来ませんでした。
上級生ステージにオンステできないことを悔しく思いつつも、このような演奏ができるクラブに所属できたことに感謝し、早慶交歓演奏会(早慶)と東西四大学合唱演奏会(東西四連)の名演奏を確信しました。早慶は自分自身の耳で名演奏を確認し、東西四連は大阪まで聴きに行った同期が「ワグネルが一番良かった」と報告してくれるのを、掛け値無しで納得して頷くことができました。今、当時の四連の録音を聴いても、このときの演奏の素晴らしさは傑出しています。
現在は東西四連の音源はアップされていないので、第109回定期演奏会の演奏をお聴きください。この素晴らしさも傑出しています。
残念ながら畑中先生がワグネル現役でネーニエを振ったのはこの年だけです。しかしOB合唱団の2006定期演奏会で畑中先生が取り上げて下さったので、「一度で良いから畑中先生の棒で『ネーニエ』を歌いたい」という願いは叶えることができました。