コンクールの功罪 – 安積黎明・郡山への追随や技術偏重を憂う(Echotamaのブログ)

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合唱部に所属している皆さんの多くは、すでにコンクールへの準備を始めている頃だと思います。特に中高の合唱部にとって、功罪はあるにせよ、コンクールは最大のイベントで、全力を傾けていることでしょう。2020年はコロナであらゆるコンクールが中止となり、全国の合唱部員が悲嘆にくれましたが、昨年は無観客ながらもようやく開催されました。今年も現在のところは開催にむけて準備がされています。このまま開催されることを祈るばかりです。

私が申し上げたいのは2点。

1点目は、ことさらに練習時間を多くすれば良い成績がとれるわけではないということです。東京の豊島岡女子学園中学校・高等学校コーラス部は、中高ともに全国大会の常連校で、全国一も何度も獲得していますが、練習は週5回ですが1回1時間15分のみです。休日に強化練習があったり、合宿があるわけでもありません。しかも練習の運営はほとんど生徒の自主練習に任せられており、教員が指導する時間はさらにわずかです。きちんとポイントを捉えた効率的な練習ができれば、好成績は可能なのです。

https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/6099

もう1点は、ことさらに大人びた声を作ったり、技術的に困難な曲でコンクールに臨んでほしくないということです。これはコンクールの功罪の「罪」の面で、発生源は(固有名詞を出して申し訳ありませんが)合唱指揮者の菅野正美先生にあると考えている方は私だけではないでしょう。菅野先生は、福島県立安積黎明高等学校(元は安積女子高)、福島県立橘高等学校(元は福島女子高)、福島県立郡山高等学校の教諭として、全日本合唱コンクール、NHK全国学校音楽コンクールいずれににおいて輝かしい成績を残し、橘高をのぞき、たびたび全国一にも輝いており、おそらく全国一の獲得回数は一番でしょう。取り上げる曲は、1994年からは一貫して(投稿後ご指摘をいただき2013年は髙田三郎先生の「川」を演奏していました。他にも例外はあるかもしれません)作曲家鈴木輝昭先生への委嘱曲です。鈴木輝昭先生の曲はいわゆる現代曲の手法で作られており、高い技術を必要とします。また、発声も独特の大人びた声作りをしており、コンクールでは「技術的に困難な曲を大人びた発声で歌わないと勝ち抜けない」という思い込みを全国に与えてしまったと私は考えています。そのため、追随して鈴木輝昭先生作曲の曲を取り上げる学校は現在でも多く、「鈴木輝昭ブーム」とでもいうような状況が続いていますし、無理に大人びた発声が流行しており、練習時間も相当必要としていることでしょう。

往時の法政大学アリオンコールのように「常に最先端の現代曲の表現の可能性に挑戦する」ことを目標としているのであれば、それは個性として尊重されるべきだと思います(しかもアリオンはコンクールには出場していません)。しかし、それがただ単にコンクールを勝ち抜くためのテクニックだったとしたらどうでしょうか。私の娘だけかもしれませんが、鈴木輝昭先生の曲は「歌ってもわけわかんない」と言います。私も、難しい曲だと思い感心はしますが、あとは首を傾げてしまいます。そういう曲を、何か月もかけて作り上げていくことで、はたして生徒たちの感性は磨かれていくのでしょうか。生徒たちの眼は世界の音楽に開かれていくのでしょうか。日本の音楽文化の興隆になるのでしょうか。

その中で(ピー)年前の豊島岡女子学園高等学校コーラス部のNHKコンクールの画像をYouTubeで見つけました。豊島は伝統的に明るくて透明感のある独特の発声をします。未熟だと退ける方もいらっしゃるようですが、「天使の歌声」と肯定していただける審査員もいらっしゃいます。まだ高校生なのですから、少女らしい自然な声で良いではありませんか。しかもこの年の自由曲「或る風に寄せて」は委嘱曲どころか三善晃先生の初期の曲で、半世紀以上前(1962年)発表の女声合唱のスタンダードナンバー。まだ調性の範囲内の比較的平易な曲です。

この演奏を聴いたとき、私はNHKホールの客席にいました。素直な発声の素晴らしい演奏に感動しました。実はこの年の金賞(全国一位)は安積黎明で、豊島は銅賞(全国三位)だったのですが、意味のよく判らない曲の練習に日夜明け暮れなくても、技術に感心させる「鈴木輝昭ブーム」に乗らなくても、大人びた声を作り込まなくても、銅賞まで行けた。コンクールの在り方に一石をを投じ、金賞よりも価値のある銅賞をいただけたと、今でも思っているのです。