『サタンタンゴ』からコダーイへ(Echotamaのブログ)

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昨日は大学ゼミ同期生の同窓会で新宿に行きました。
早めに新宿に着いたので、紀伊國屋書店に寄りました。
職場の最寄りの神保町では、古本店ばかり彷徨っていたので、新刊書は久しぶり。
文学のコーナーに行ったら、クラスナホルカイ・ラースローの処女作「サタンタンゴ」が、作者の大きな写真とともに平積みになっていました。昨年(2025年)ノーベル文学賞受賞。ハンガリーでは日本と同じく姓を先に置くため、「クラスナホルカイ」が姓、「ラースロー」が名です。

これまで邦訳は、京都が舞台(クラスナホルカイは2度、半年ずつ京都に住んで能の研究などをしており、京都と縁が深い)の「北は山、南は湖、西は道、東は川」の1冊しか出ていなかったのです。「サタンタンゴ」の訳書が、つい先月の6月に出版されていたのでした。手に取ったら、ひとつの文が1ページ以上も続き、しかも読点「、」がひとつもない。「短い文章は人工的」「人間の思考は切れ目無く連続していくものである」とのこと。確信犯です。

クラスナホルカイから、ハンガリーの音楽、特に木下保先生と慶應ワグネルのコダーイを思い出しました。

ハンガリーと言えば、「歌う民族」として知られる国。バルトーク、コダーイ。ハンガリーだけでなく、同じウラル語族の言語を持つフィンランド人、エストニア人、そして現在ではごく少数となったリヴォニア人。さらに、バルト系でありながらリヴォニア文化の影響も受けたラトビア人。いずれも「歌う民族」と呼びたくなる豊かな歌唱文化を持っています。

ハンガリー人と日本人の系統関係は確認されていませんが、ハンガリーと日本の言語や伝統音楽を比較すると、興味深い共通点がいくつもあります。
・ハンガリーと日本の古い民謡には、ペンタトニック(五音音階)を基調とするものが多い。
・ともに膠着語である(英語の in や at のような前置詞ではなく、日本語のテニヲハに当たる要素を語の後ろに付ける)。
・ハンガリー語は第一音節固定アクセントだが、木下保先生や畑中良輔先生も、日本語歌唱では「言葉の出だしに重心をかけ、美しく明瞭に発音すること」を重視された。
・ハンガリー語では、第一音節アクセントや母音の長短が民謡のリズムと深く結びつき、「逆付点」型を含む独特のリズム感を生んでいる。

木下保先生がコダーイを最初にお振りになった1971年(今から55年前!)の第20回東西四大学合唱演奏会(東西四連)と慶應ワグネル第96回定期演奏会のプログラムの言葉が、今なお示唆に富むと思い、ネット上に残しておきたいと思います。

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「コダーイ男声合唱曲集を演奏するにあたって」
  木下 保

 私の今回コダーイを取り上げたその狙には、直接音楽とは結びつかないかも知れないが、ハンガリーと日本との共通性といったところである。周知の通りハンガリー人はヨーロッパに属しながらも人種的には蒙古系に属し、その言語・音の感じ方は日本人と非常に似ている。その歴史は日本と対称的(ママ)に長い間に幾度も外敵の侵略を受け、そのうちヨーロッパの多くの民族の雑種の様になったが、精神的には外からの侵略にもかかわらず古来日本人と似かよったところがある。これは私が実際ハンガリーに行った時に感じた事であり、私はハンガリー語が全く分からないにもかかわらず、耳から入ったハンガリー語の感覚が日本語と非常に似ているものである事に気付き昔から大変興味を持っていた。
 ハンガリーの歴史の中でコダーイの生きた時代混乱期の真さい中であり、その中でコダーイ・バルトークなどは民族的な意味からも、民謡の収集を計り(ママ)、バルトークが芸術面のみでそれらの民謡をとらえたのに対し、コダーイは芸術プラス教育という面から、すなわち偉大な音楽教育者であった。わが国ではハンガリーを第3者的に見るので、一般的な芸術的評価という点ではバルトークの方を買う傾向にあるが、ハンガリー大衆ではむしろバルトークよりコダーイの方が買われている。私は純粋な芸術的見地からもコダーイはバルトーク程鋭くはないが、それだけに広さとか、健康的、民族的、国家的であると言えると思っている。
 以上の事より考えてみると、現在コダーイの存在というのは将来の音楽や文化、国学を伸ばして行くのに非常に参考になる。というのは日本は日本独特の音楽を持ちながら、当然に明治になり欧米の音楽を取り入れ今日に至っているのであるが、現在ではそれが混沌としている感じがする。たとえば非常にドイツ的であったりフランス的、イタリア的であったり、その意味からも国の混乱、文化の混乱期に民謡の収集を計り(ママ)、音楽教育の面で「コダーイメソッド」を作り出し、ハンガリーの将来の行く道を示したコダーイの存在は、我々の将来の模範を示している様な気がする。従って、コダーイの音楽の評価が将来どの様に評価を受けるかわからないが日本の将来の良い指針になると思い、私はかねがねワグネルでコダーイを取り上げなくてはと思っており、そして今回学生からの要望に大賛成したわけである。

 以上述べた様に、私はハンガリー語は全くわからない。しかし、コダーイの音楽的側面は別として、感覚的にコダーイの音楽や狙っているところが大体分る様な気がしたし、2~3回の練習で学生諸君が何の抵抗もなく歌っているのを見てますます自信を深めた。その意味から自分としてこの曲の仕上がりを楽しみにしているところであり、演奏会終了後、各方面からの批判を聴き、それを今後への反省の具にしたいと願っている次第である。

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その後、日本ではコダーイメソッドが主に子どもの音楽教育の場で発展をみせ、松下耕先生がハンガリー・ケチケメートの「コダーイ研究所」へ留学し、その意義深い成果をご自分の作曲作品に結実されるなど、コダーイの音楽と教育思想は、日本にも大きな影響をもたらしてきました。

近年の東西四連では、早稲田、同志社、関西学院はいずれもコダーイを取り上げています。しかしなぜか慶應ワグネルのみは、1975年の「コダーイ男声合唱曲集第2集」を最後に、半世紀以上コダーイをはじめとしたハンガリー音楽を取り上げていません。

第20回東西四連(なんと当時キングレコードでLPが一般発売されました)での慶應ワグネルのコダーイは「屈指の歴史的な名演」と言われてきました。現在公開されているのが同年の第96回定期演奏会の演奏で、残念ながら四連より若干見劣りするのですが、四連での緊張感あふれる演奏を想像しながらお聴きいただければ幸いです。ここには「世界の中で日本人の音楽はいかにあるべきか」を問い続けた木下保先生の魂が込められていると、私は考えています。

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