「群舞」をめぐる天才性の系譜 – 「ササチュー」佐々木忠次について(Echotamaのブログ)

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Wikipediaでササチュー(佐々木忠次)さんのことを書こうとしてかなりの時間が経っています。オペラとバレエがご専門の進藤美希教授に執筆を約束したこともあるのですが、そもそもWikipediaでスタブ(書きかけ)のままになっているのが悔しくてたまらないのです。激しい性格ゆえ、毀誉褒貶も激しく、特に外務省や文化庁などのお役人とは一切の妥協をせず戦い続けました。したがって国内の栄典の類は全くありません。お役人の方々は、このまま歴史に埋もれさせようとしているのでしょうか。

ササチューさんというインプレサリオがいなければ、バイエルン国立歌劇場も、カルロス・クライバーも、英国ロイヤル・オペラも、ウィーン国立歌劇場も、ミラノ・スカラ座も、ベルリン・ドイツ・オペラも、他にも本場の一流の演奏家・オペラが日本に来ることはなかったのです。日本のオペラ・音楽ファンがササチューさんから受けた恩恵は計り知れません。

また、バレエへの貢献も大変なものです。私はバレエは門外漢なので、今は一所懸命バレエの勉強もしているのですが、知れば知るほどササチューさんの天才性が見えてきます。今やササチューさんが率いた東京バレエ団は世界の5大バレエ団の一つと言われるほどになっています。今でこそ日本人の体格は欧米人に近づいてきていますが、ササチューさんが東京バレエ団を創立したのは1964年。「胴長短足の日本人がバレエを踊るんだって?」と嘲笑されていました。それがすでに1966年には「本場のソ連なんかに行かれたら国辱ものだ」と言われる中でソ連公演を強行し、笑われるどころか「チャイコフスキー記念」という冠名を名乗ることを許されて帰ってきたのです。

勉強中の私としては、気付いた天才性はまだ一つ。日本人が体格で劣ることはササチューさんも当然わかっていた。でも、負けないもの、もしかしたら凌駕できるものにも気づいていた。それは「群舞(コール・ド・バレエ)」です。日本人は一糸乱れぬ動きなら勝負できる。思惑通り、群舞は「スイスの時計より精巧な動き」という評価を受け、ヨーロッパの観衆を感動させたのです。この見識の確かさは類を見ない……あ、他にもいました。もしかしたら、これは天才の「系譜」なのかもしれません。

思い出したのは岸田辰彌と秋元康です。岸田辰彌はヅカ(宝塚)ファンなら知らない人はいないでしょうが、一般にはあまり知られていないかもしれません。すぐ上の兄が「麗子像」で有名な洋画家の岸田劉生です。辰彌は宝塚大劇場の演出家になり、小林一三の命で1年余り欧米を視察して、日本初のレヴュー『モン・パリ』を作った人物です。『モン・パリ』は大人気となり、初演から94年、いまだに上演されています。日本人の踊りでも「群舞」なら大いに魅力的となることを辰彌の天才性は見抜いていたのでしょう。

秋元康については解説はいらないかもしれません。私は別にファンというわけではありませんし、宝塚やバレエと一緒にするなとお叱りを受けそうですが、いわゆる「束モノアイドル」がアジア全体を席捲しているのは、秋元康の天才性のなせる業だと思うのです。

日本人の「群舞」の卓越性に気付いた天才の系譜。ササチューさん、ありがとうございます。