フェアウェルコンサート(いきっつぁんの演奏会探訪)

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昨日聴きに行けなかった演奏会に、早稲田大学混声合唱団(早混)のフェアウェルコンサートがある。この学年は2年目からCOVID19に翻弄されて大変だったと思うがフェアウェルコンサートが開催できたのは喜ばしい。実はある方から「フェアウェルコンサートって何ですか?」と聞かれ、学生指揮者を務めたほどの方でも知られていないことに驚き、あるいはかなりローカルな存在なのかもしれないと考えて少し書き残しておくことにした。

フェアウェルコンサートというのはその年の卒業生が4年間を振り返りながら、主に現役の後輩を対象に開催するコンサートの事、と言ってよいだろう。早稲田のグリークラブでは送別演奏会という形で現役生も一緒に演奏会を行っているようだが、早混の場合は開催するかどうかも含め卒業学年の自主運営に任されていて、足りないパートがある場合には下の学年などから応援してもらう場合もある。対象もうちわに限らず宣伝して一般に広く知らせることもある。こんな企画が50年近く絶えることなく続いているのは珍しいかもしれないが、そもそもの初めは1966年だった。

昭和30年代の早混では3月に地方演奏旅行を行い、その最終ステージが卒業生最後のステージになるのが常だった。1965年末ごろから重ねられていたできたばかりの第二学生会館の管理権を巡る交渉が紛糾し、年明けから学費値上げに対する反対運動が加わり、学年末試験が延期され卒業式も行われないという事態になった。このままでは最後のステージが無いままに別れることになってしまう、と考えた卒業学年が代りに開催したのが初めてのフェアウェルコンサートだった。この学年は人数が多く40人以上の卒業生があったので何と東京文化会館の小ホールで行っている。

その後は演奏旅行が復活したが、1969年には70年安保改定を前に再び学生運動が盛り上がり、年明け早々に東大の安田講堂事件があり、早稲田では第二学生会館や大隈講堂への立てこもり事件があって再び演奏旅行が中止となり、卒業生が前例に従って2回目のフェアウェルコンサートを開催した。この年の卒業生も30名弱のメンバーがあった。

その後演奏旅行も毎年は行われず、フェアウェルコンサートもしばらく途絶えたが、1976年の卒業生(私達だ!!)が途中退団者や前後学年の応援を得て小規模なフェアウェルコンサートを開催した。そしてこの時の1年生たちが自分たちもあんな演奏会をしたいと考えて行ったのが1979年のことで、それ以来毎年の卒業生が行うことが慣例になり、新型コロナ感染症によって中止されるまで続いていたのだ。

一方、早混では前期の間新入生は上級生と分かれて練習し、その成果を6月の終り頃に新入生演奏会(始まりがいつかははっきりしない)が開催されていた。つまり一つの学年にとっては初めに新入生演奏会があり、最後にフェアウェルコンサートがあるというパターンが定着した。そしてこれは思わぬ副産物として定着率の向上という成果を生んだ。それまでは4年生になると就活や卒論、教育実習で忙しくなり、退団してしまうケースが多かったのだが、最後の定演には出られないがフェアウェルには出たいと考えて、休団するが退団はしないという人が増え、4年まで在団して卒業する人が増えたのだ。併せて4年生でもなんとか定演にも出演する人が増え、昭和50年代の後半以降、コロナ禍で減少するまで常に120名以上を擁する大規模団体となった。

このような仕組みは考えて出来上がったものではなく偶然の産物だが、団員の定着に悩む合唱団には参考になるだろうと思う。早稲田は学生数が多いからできるのだ、と思う方もあるだろう。確かに学生数は38千人余りと全国2位だが、例えば先ごろ男声合唱団が活動を停止した法政大学の学生数は34千人余り。早稲田には有力な合唱団だけでも7団体あり、音楽団体に至っては60余りを数える。学生数だけの問題ではなかろうと思う。早稲田生の音楽好きは突出しているのかもしれない。それが音楽好きの新入生を増やすという好循環を生んでいる可能性もある。さかのぼれば大隈重信が東京フィルハーモニー会(三菱の岩崎小弥太が山田耕筰を応援するために始めたといわれる)を支援したことに源泉があるのかもしれないがその話はいずれまた。

いきっつぁんのプロフィール:早稲田大学卒業。在学中混声合唱団に所属。現在はレクイエム・プロジェクト東京いのりのとき合唱団、日本ラトビア音楽協会合唱団ガイスマに所属。