三木稔作曲の「男声合唱とピアノ及びバリトン独唱のための『レクイエム』」(いわゆる『三木レク』)です。小林研一郎先生と早稲田大学グリークラブ(ワセグリ)の数々の名演のなかで、屈指の名演の一つといってよいと思います。死と生の狭間を切り裂き、叫び、うねり、泣き伏す歌声。劈く子音。ワセグリの「魂の合唱」が怒涛のように迫り、聴く私たちの心をえぐり、そして満たしていきます。なぜワセグリがこれほどまでの演奏ができるのか。小林研一郎先生の指揮は当然ながら決定的に大きな要素ではありますが、それだけではないものがワセグリにはあるのです。
合唱の練習時に、「気持ちを一つにして歌いましょう」「心で歌いましょう」なんていう言葉が飛び交うことはありませんか。恥ずかしながら私も中学・高校のときはそんな言葉を使っていました。でもどうやったら「気持ちを一つに」して「心で歌う」ことができるのでしょう。論理的・具体的なメソッドはどこにもありません。ましてや、こういうことを言い始めるときに限って、基礎練習はおざなりになっていたりするものです。その果てには、気持ちをどうやって盛り上げるかに苦慮するあまり、空虚な発奮スローガンをばら撒いたり、マイナスな発言を言葉狩りしたりすることに血眼になったりなど、百害あって一利無しの愚策が大真面目に手間ヒマかけて繰り広げられるのです。戦時中のどこかの国と変わりません。冷静に考えれば、そんなことをしているヒマがあったら、練習に充てたほうがよほどマシのはずなのですが、「気持ち」や「心」に活路を求めようとする危険な誘惑に負けてしまい、足元を見失うことは多々あるのです。
ところがワセグリは、私が知る限り唯一、「心で歌う」術を知っている合唱団体なのです。どうしたらそのようなことができるのか。もちろんメソッドが明文化されているわけではなく、伝統によって過去から伝えられてきて体に染み付いているのでしょう。さらに、以前にも書きましたが、大量のリポビタンDと火事場の馬鹿力の「リミッター外し」が加わって、彼らの「魂の合唱」が完成し、爆発して会場一杯に響き渡るのです。
「心で歌いましょう」という言葉が聞こえ始めたら、普通の合唱団は危険な道に迷い込もうとしている証拠です。それはワセグリだけが可能で、ワセグリだけに許された伝家の宝刀なのです。