父との秋田旅行(Echotamaのブログ)

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「秋田へ二人で行こう!」

私の父は旧制官立秋田鉱山専門学校(現:秋田大学)の卒業です。戦中に信州から秋田に進学するというのは当時としても珍しい選択だったようです。学徒勤労動員で戦闘機のエンジンの工場で働き、合金に興味を持ち、金属工学を勉強しようと思ったら帝大か秋田しかなかったのだと言っていました。現在であれば高2から大1年の多感な3年間を過ごした秋田は父の第二の故郷でした。

もう17年前の6月、ちょうど卒業50年のときでした。父は卒業以来一度も秋田に行っておらず「死ぬ前にもう一度秋田に行きたい」などと時折つぶやいていました。でもC型肝炎による肝硬変と狭心症を抱え、一人で行くのは無理。そこで私が父を連れて二泊三日で秋田に行くことを決行したのです。

往路は実家から父が昔行き来していたのと同じ日本海側の列車を乗り継ぎました。父は50年前と同じように車窓から広がる海を嬉しそうに眺めていました。

秋田に着くと、千秋公園(城跡)と秋田大学キャンパス、鉱業博物館、学寮の跡地を見て回りました。50年前を思わせる物は全く残っていないようでした。父はほぼ無言で、一歩一歩確かめるように足を踏みしめていましたが、キャンパス内で立ち止まり突然「ここに大きな炉の煙突があった」とつぶやきました。昔のキャンパスのシンボルだったそうです。父の目には昔の姿がはっきりと見えていたのでしょう。

旧秋田銀行本店

夜は川反(かわばた:秋田一の歓楽街)の郷土料理店できりたんぽやしょっつる鍋などをいただきました。「昔は秋田駅の西側は陸軍の練兵場で何も無く、駅から川反の明かりが見えた」のだとか。

翌日は、男鹿半島一周一泊二日のバスツアーを利用し、男鹿温泉に宿泊。最終日のクライマックスは寒風山頂上からの眺望です。だが残念ながら天気が悪く、八郎潟(大潟村)がほんの一瞬見えただけでした。父は後々になっても「天気が良ければなあ」ととても残念がっていました。私は「何でもうまくいくより、何か思い残すことがあったほうが、心の支えになって良いじゃない」と言っておきましたが、父が秋田を訪れたのはこれが最後になってしまいました。あのとき良い天気だったほうが良かったのか、今でも時々思案してみるのです。

男鹿温泉 結いの宿 別邸 つばき

  • 場所: 秋田県男鹿市北浦湯本中里81
  • 特色: 男鹿の魚介と季節の山の恵みを使った郷土料理が美味しい。2本の源泉掛流し温泉もオススメ。Wi-Fi完備

6月11日の父の4回目の命日に寄せて。