漫画はあまり読まないのですが、どうしても読みたい作者、作品があります。萩尾望都の『ポーの一族』シリーズもその一つです。少々前になりますが、40年ぶりに新シリーズが発表され、単行本になったので買い求めました。
単行本は二冊、「春の夢」「ユニコーン」。読んでみたら、声楽愛好家の心をくすぐるネタがいっぱいで、興味深く読ませていただきました。ただ「はてな?」と思うところもあったのです。(一部ネタバレ注意)
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「春の夢」は題名そのものがシューベルトの連作歌曲『冬の旅』の第11曲目です。ナチスドイツから逃げ、ハンブルクからイギリスに来た少女ブランカが、ハンブルク時代に父親のピアノで母親が歌っていた家族の美しい思い出のモチーフとして、物語の前半から登場します。
- Frühlingstraum
春の夢
Ich träumte von bunten Blumen,
僕は色とりどりの花の夢を見た。
So wie sie wohl blühen im Mai,
5月に咲くような花。
Ich träumte von grünen Wiesen,
僕は緑の草原の夢を見た。
Von lustigem Vogelgeschrei.
陽気な鳥たちの鳴き声。
Und als die Hähne krähten,
そして雄鶏が鳴いて
Da ward mein Auge wach,
僕は目が覚めた。
Da war es kalt und finster,
寒い。暗い。
Es schrieen die Raben vom Dach.
屋根の上ではカラスが鳴いた。
Doch an den Fensterscheiben,
しかし窓ガラスに
Wer malte die Blätter da?
誰が葉っぱを書いたのだろう?
Ihr lacht wohl über den Träumer,
葉っぱは夢を見た僕のことを笑っている。
Der Blumen im Winter sah?
冬に花を見たんだって?
Ich träumte von Lieb’ um Liebe,
僕は愛にあふれる夢を見ていた。
Von einer schönen Maid,
美しい乙女。
Von Herzen und von Küssen,
通じ合う心とキス。
Von Wonne und Seligkeit.
喜びと至福。
Und als die Hähne krähten,
そして雄鶏が鳴いて
Da ward mein Herze wach,
僕は目が覚めた。
Nun sitz’ ich hier alleine
僕は一人ぼっちで座っている。
Und denke dem Traume nach.
そして夢について考える。
Die Augen schließ’ ich wieder,
僕はもう一度目をつぶる。
Noch schlägt das Herz so warm.
心はまだとても暖かい。
Wann grünt ihr Blätter am Fenster,
窓の葉が緑になるのはいつ?
Wann halt’ ich mein Liebchen im Arm?
僕の腕が愛しい人を抱きしめるのはいつ?(拙訳)
上記の通り「春の夢」とは、夢の喜びではなく、夢とはかけ離れた自分の境遇の悲しみを歌っています。シューベルトの連作歌曲『冬の旅』は、恋に破れた青年が冬の荒野を彷徨う24曲から成っています。最後まで、永遠に、春はやってきません。シューベルトが『冬の旅』を友人たちに初めて聴かせたとき、あまりの内容の暗さに友人たちは凍り付いてしまったといいます。家族で睦まじく歌う曲ではありません。僕の腕が愛しい人を抱きしめることは永遠にないのです。つきまとうのは救いようのない「死の影」です。ここでも死の象徴であるカラスが登場します。その中で「春の夢」はまさに「夢」。「夢」が甘美であればあるほど、現実の悲しさが際立つのです。ところが漫画のなかではその曲が美しい思い出のモチーフとして使われていて、主人公のエドガーが「美しい愛の詩」と言っているのが、何とも違和感があるのです。
それとも、バンパネラの「一族」には永遠に春が来ないこと、少女ブランカにも永遠に春が来ないことが、題名に既に暗示されているというのでしょうか?
そのわりには、思い出の中でこの曲を歌っているのは母親という設定となっています。上記の詩のとおり、この主人公は青年すなわち男性です。女性が歌うということは、白井光子さんがおやりになったように、ich(私)とは誰なのか?という根源的な解釈の再構築が必要になります。一般的ではありませんし、慎重に扱わなければなりません。根源的な解釈の再構築を求めつつ、暗示を既知とするなら矛盾です。ここにも違和感があるのです。
また、「ユニコーン」では、ブランカがリヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』を歌う場面があります。ユダヤ人のブランカが、ナチスに持ち上げられたリヒャルト・シュトラウスの曲を歌うことについて、バリーが嫌味を言っているのは正しい指摘だと思うのですが、問題はこの話の設定が1958年だということです。
今でこそ『4つの最後の歌』はリヒャルト・シュトラウスの歌曲の代表のように扱われていますが、この曲はリヒャルト・シュトラウス84歳の1948年に作曲され、作曲者死後の初演(1950年)での評判は散々で、「もうろくじいさんが懐古趣味で書いた時代錯誤の曲」という扱いでした。無理もありません。当時すでに1925年にアルバン・ベルクが『ヴォツェック』を上演、シェーンベルクは75歳、ウェーベルンは5年前に他界していました。そんな中で後期ロマン派そのものの曲を発表したのですから。
「ユニコーン」の設定の1958年以前に発売された『4つの最後の歌』のレコードは、1953年リザ・デラ・カーザ、カール・ベーム指揮ウィーン・フィル、1953年エリーザベト・シュヴァルツコップ、オットー・アッカーマン指揮フィルハーモニア管弦楽団、1956年シュヴァルツコップ、カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団しかありません。しかもいずれもあまり有名な録音とは言えません。それが1968年発売(録音は1965年)のシュヴァルツコップ、ジョージ・セル指揮ベルリン放送交響楽団の名演奏が大ヒットし、魅力が広く知られるようになり、それ以後に様々な歌手により歌われるようになったのです。
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1996/02/21
- メディア: CD
アマチュアのブランカが1958年の段階で『4つの最後の歌』を知り、ぜひ歌いたいと思い、ピアノリダクション版の総譜を手に入れて、発表会で歌う可能性は非常に低いように思うのですが……。
こんな話を妻にしたら、「萩尾望都さんほどの人なら、紫綬褒章ももらっていて迂闊なことはできないし、周囲のスタッフも充実しているだろうから、設定間違いなんてするかしら。あなたの方が違っているんじゃないの?」と一笑に付されてしまいました。うーむタダのサラリーマンでは太刀打ちできないか……。