ギフテッド≒発達障害こそが日本を救う(Echotamaのブログ)

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これは夢物語です。異能の発達障害の子供たちを金銭的・社会的に援助して、特殊な才能を伸ばす仕組みを作れないものでしょうか。

エジソンが異常な行動で小学校を放校になっているのは有名な話です。アインシュタインは妻の援助なしでは全く生活能力がなかったとか。GAFAの創業者、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、Appleのスティーブ・ジョブズ、Meta(元Facebook)のマーク・ザッカーバーグ、Amazonのジェフ・ベゾス、いずれも奇人・変人としてのエピソードには事欠きません。日本でも織田信長、坂本龍馬、福澤諭吉などは偉業とともに奇人・変人の側面でも知られています。このように、社会に革命的な変革をもたらす偉人はむしろ奇人・変人であるのが当たり前で、普通の人間ではないのです。これらの人達はアメリカではGifted(ギフテッド:才能を天から授けられた人)と呼ばれますが、その才能の発達は一様ではなく凸凹がある(だから奇人・変人となる)ため、発達障害と類似しているのではないかという説もあります。誤りと言う説もありますが、私はギフテッドが発達障害と共通の背景を持っている可能性はあると考えています。

翻って日本の発達障害の子供たちは、織田信長などのように運が良い場合は稀で、多くはその特異さゆえにイジメの対象になったり、周囲の理解を得られず孤立したり、不登校・引きこもりになったりします。登校できた場合でも、「療育」「支援」とは言いますが、特殊学級への編入、通級などにより、「適応」させていく指導が目的とされているように思えてしまいます。つまりマスプロ教育の枠に入れるように援助しようという、同質化・同調圧力的な発想があるのではないでしょうか。発達障害の凸凹はいわばオーダーメイドですから、既成の枠にはめようとしても無理です。また、特殊な才能に着目して積極的に伸ばそうという観点は全くありません。現在の日本の公教育のなかでは対応する教員のほうにも限界があるでしょう。結局民間のフリースクール等に頼ろうとすることになりますが、平均の月会費は文科省の統計上は一人33,000円とか(えっ?これだけのはずないでしょ)にのぼります。

出典:https://eduwell.jp/article/free-school-subsidy-public-support-difficult-reason/

そこに2週に1回程度の精神科の通院費、薬代、カウンセリング代(無保険。1回7,000~10,000円)も加わるのです。一般家庭では対応に限界があります。しかもイジメ等を受けた子供たちは心に傷を負っていて、二次障害としての精神障害を一生引きずってしまう可能性も高いのです。

しかしそういう子供たちの才能が伸ばされることなく萎んでしまったら、社会・経済、ひいては国力の多大な損失です。私は日本でGAFAのような真のイノベーターが出現しないのは、こうした仕組みに問題があるからだと考えています。一方でアメリカの大半の州では、こうした才能を持った人々(子供、大人を含めて)を見つけ出すことが大きな課題であると考え、子供たちには「ギフテッド教室」が用意されているのです。

日本では国がやるとたいていロクなことにならないので(失礼)、国立のギフテッド教育機関を作ることには期待しません。しかし困ったことに、憲法第89条により、「公の支配」に属さない教育事業に公金を支出することができないため、民間のフリースクールに補助金を出すことはできません。憲法改正とか言うと、他の条文まで変えようとしたい人がいっぱいいるから危険だな。また、民間のフリースクールも玉石混交です。未来のイノベーターが生まれる態勢にしていく努力は、官民ともに成されていくべきだと思います。難しい問題です。

せめて、まずはカウンセリングの保険適用、できればギフテッドの子供たちへのバウチャーなどの補助金、高等学校卒業程度認定試験(昔の大検)の融通化などしていってもらえませんでしょうか。また、成人後の障害者年金は発達障害だと通常2級認定ですが、支給額6万5千円ってひどすぎませんか。引きこもりで外に出られないし二次障害もあるかもしれないのに。それと教員の皆様にもっと余裕を持っていただき、発達障害にもっと理解を持っていただきたい。個々の教員によって差がありすぎます。もしかしたら、その扱いづらい発達障害の子供こそが、将来の日本や世界を変えていくかもしれないのですよ。……某大学教育学部長をはじめ、教員の「お友達」もいる中で、一般人の私が偉そうに書いて申し訳ありません……。

後日記:ご提言をいただきました。「そもそも、『普通の』子どもなんて個々には存在しないと思っています。(私も含め)みんな少なからず持っている性格や特性には凸凹があるはずです。金子みすゞさんの詩『みんなちがって みんないい』という考えが持てる社会にしていかなくてはいけないと思います」素晴らしいです。多様性を許容できる世の中になってこそ日本は発展できます。このような先生がもっと増えてほしいと思います。

後日記2:先日書いた、発達障害の特別支援教育について、ICTを活用する「LEARN」という研究が東京大学先端科学技術研究センターで行われていることをご紹介いただき、興味深く読ませていただきました。

主宰者の中邑賢龍教授と、私の問題意識の出発点は全く同じだと感じました。長いですが、そのまま引用します。

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社会は不適応を起こした子どもに治療教育を提供し、標準的だと考える子どもに近づくことを期待します。しかし、我々は、ICTを活用して「障害学生の入試の壁」、「学習障害の読み書きの壁」、「不登校児童・生徒の学びの壁」、「重度重複障害児のコミュニケーションの壁」など様々な教育課題の壁を壊す研究を行ってきました。まだ残念ながらICTで能力をエンハンスできたとしても社会の高い壁を超えられず苦悩する子どもが大勢います。すでに自信を失い、課題に挑むことに困難を重ねてきた子どもが、積極的に自分を変えて壁を超えることは相当ハードルが高いと感じることなのかもしれません。そもそも彼らが変わる必要があるのでしょうか?自分を変えてまで組織に属す必要があるのでしょうか? DX(デジタルトランスフォーメーション; 進化したIT技術を浸透させることで、人々の生活をより良いものへと変革させること)時代に突入し学校や会社の壁が低くなり、時間空間を超えた組織が生まれつつあります。これは、彼らが既存の社会に無理に適応しなくても、新しい環境を容易に構築でき、さらに既存の環境とも繋がれることを意味しています。課題設定の自由度も高まっており、好きなことから学べる環境の中で彼らの能力を伸ばすことが可能です。その個別最適な環境の中では、彼らが自分を好きになり、自信を取り戻し、意欲を高めていくことが今までよりは容易になってくるでしょう。個別最適な新しい学びの場とは何かを教育実践を通して追求していきます。

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こうした取り組みにICTとDXが活用されていくことは、素晴らしい取り組みで、本当に喜ばしいことだと考えます。

しかしながら、(以下再び引用)

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LEARNの誕生

2014年から異才発掘プロジェクトROCKETを展開し、不登校など学校に馴染めない子どもの新しい学びのあり方を社会に発信して来ましたが、2021年6月より新しいプログラムに移行することになりました。この期間、不登校に対する社会の見方は大きく変化し、彼らが学ぶ場も充実してきました。また、ユニークな才能についても注目されることが多くなり、様々な支援プログラムが生まれています。「突き抜けた」「才能のある」「能動的で」「志のある」子どもに関しては異才発掘プロジェクトROCKETを通して救われた部分もあるかもしれません。多くの方々からROCKETへのご支援をいただきました。それはROCKETのポリシーが、社会がポジティブに捉える特性を伸ばすものだったことが大きいと感じています。 しかし、この「志」や「突き抜けた才能」を持つ子どもを発掘し、自己責任で前に進めという教育は、その一方で、「自分は他の子に比べて突き抜けてないからダメだ」と思う子どもを生み出し、彼らを苦しめるようになってきたのも事実です。突き抜けている事だけが素晴らしいことではありませんが、ユニークさを強調したが故に、普通であることがダメであるかのように捉える子どもが出てきてしまいました。また、ROCKETに選ばれることを目標にする子どもも出てきました。つまり、メリトクラシー(業績・能力主義)を批判しながらROCKETがメリトクラシーの罠にはまったわけです。 現実には、役に立たないことをやり続けて評価されていない、何をしていいか分からず引きこもっている、障害が重度で意思が表出できない多くの子どもたちは参加できない状況でした。今も彼らの多くが、またご家族も、大きな不安を抱えています。我々は、意欲がなくても、際立つ才能がなくても、障害による様々な困難があっても、子どもが自己否定せず、自信を失わず学べる社会を理想としたのですが、ROCKETという看板が一部の子どもには重荷であり、また無関係に思わせるものでした。それがROCKETの看板を降ろす理由です。 突き抜けとは違う道があってもいいと思います。平凡でもいいのです。今は志がなくてもいいのです。「一人が好き」「あまり喋らない」「こだわりが強い」「自信過剰」「障害による困難がある」といったこれまでネガティブに捉えられてきた特性も私たちは愛すべき特性だと思います。 ユニークで突き抜けていることは一つの素晴らしい才能です。勉強ができて、協調性もあり、オールマイティな子も素敵です。我々は引き続きそんな子どもたちも応援していきます。 結局はそれぞれがそれぞれの個性を発揮して生きられる場を創造する必要があるのです。ROCKETだけでなく、これまで研究室にあったその他の学びの場も統合した新しい学びの場がLEARNです。

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ROCKETからLEARNに変わらざるをえなかったということは、非常に考えさせられる問題です。メリトクラシー(業績・能力主義)の罠にはまっているのは、プロジェクト運営側よりも、それを受け入れる側(当然私も含めて)ではないでしょうか。私も根本から頭を切り替えて軌道修正する必要があるのかもしれません。まだまだ課題はたくさんあると実感させられました。