Liebeslieder(立教大学グリークラブ第35回東京六大学合唱連盟定期演奏会)(Echotamaのブログ)

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 畑中良輔先生が立教大学グリークラブを指揮していた時期が存在するのをご記憶の方はどれだけいるでしょうか。34回東京六連(1985年)から36回東京六連(1987年)の3年間がそれにあたります。畑中先生の御意向により、慶應ワグネルのリズム感を三年計画で改善すべく、北村協一先生が六連でワグネルのタクトを振ることとなり、そのために通常であれば北村先生が振るはずの立教を畑中先生が振ることとなったのです。ここに畑中立教vs.北村ワグネルという稀に見る対決(?)が3回にわたって実現したのです。

立教大学

 北村先生のリズム改善三年計画の最初の代に受けた「黒人霊歌」の衝撃については、以前にも書いたとおりですが(『黒人霊歌(第34回東京六大学合唱連盟定期演奏会、第110回定期演奏会)』)、2年目以降もワグネルの「リズム音痴」に対する北村先生の嘆息はなかなか止みませんでした。一方で立教は畑中先生の御指導を受けられる喜びと緊張感に溢れつつ着実な成長を遂げており、とりわけ2年目の立教のブラームス”Liebeslieder”は快演でした。確かに声の質は違うのですが、展開しているのはまぎれもなく畑中先生の音楽の世界で、それを伸びやかに表現するものだったのです。

 ”Liebeslieder”はワグネル106回定期演奏会以来ワグネリアンの憧れで、ぜひ畑中先生の棒で、ワグネルでしか表現し得ない曲として歌うことを熱望されるものとなっていました。それが畑中先生の「魔法」は、初めて指導した合唱団に、わずか2年目で大飛躍をもたらし、ワグネリアンが熱望する世界を目の前で表現してしまったのです。このままいくと、三年計画の最終年には「畑中立教」がどこまで成長していくのか空恐ろしい気持ちすら覚えたものです。

 翌年も成長できないワグネルと遥かに成長した立教を聴き比べた聴衆から「ワグネルは『畑中ワグネル』だから優れていたのであって、別の指導者であれば北村先生という第一人者であっても優れた演奏ができない」という烙印を押される事態が目に浮かびました。北村先生にも重圧があったらしく、112回定期演奏会のパンフレットでも「正直言ってこれは大変なことを引き受けたなあと思ったけど」と本音を漏らされています。