政治学の視点と経済学の視点(ロシアのウクライナ侵攻)(Echotamaのブログ)

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床屋に行きました。ラジオが流れていて、ロシアのウクライナ侵攻について取り上げていました。

MC「今日は政治学がご専門で東京大学名誉教授のXXさんにお話をうかがいます」
教授「よろしくお願いいたします」
(中略)
MC「今後はどのような展開が考えられますか」
教授「一つはウクライナが耐え切れずゼレンスキー政権が崩壊して、ロシア寄りの傀儡政権がつくられる。もう一つは、可能性は低いですが、ロシア国民がプーチンに反旗を翻してプーチンが失脚するというシナリオですね」

聞いていて、私の抱えている違和感の元が一つわかったような気がしました。

たぶんこの学者の方は、政治学の保守本流である社会関係論・人間関係論に基づき、支配-被支配や権力の構造について思考していらっしゃる。よって、プーチン政権はプーチンという個人の権力に基づき支配されていて、いわゆる「殿ご乱心」という見立てになっています。したがって停戦させるには、「侵攻やめろ!」と、いかに圧力をかけるかという結論になりますが、「殿ご乱心」では正常な判断はできません。つまり自分から停戦することはないのです。ウクライナが負けるか、プーチンが排除されない限り停戦はされないことになってしまいます。話し合いの余地が感じられないのです。

一方で経済学の立場で思考していた私は合理的選択理論(人間は効用を最大化しようと合理的に判断して行動する)に基本的に立脚しています(もちろん囚人のジレンマや情報獲得技術の困難性など、合理的選択の限界も理解しているつもりですが)。したがって、ロシアはウクライナに農業的・工業的に深く依存している一方で、歴史的背景等から両国の関係はきわめて微妙で、ウクライナが西欧を向けばロシアは経済的にも政治的にも大きな損害を被る。その損害は折り込んだ経済制裁や軍事費よりもさらに大きい、という合理的判断があったのではないかと推論しているのです。

もちろんどんな合理的な理由があろうが戦争は絶対悪で侵攻が正当化されるわけではありません。ロシアは非難されるべきです。しかし、判断力があれば、話し合いの中での諸条件を積み重ねることによって、停戦の方が効用が高いという判断に導くことは不可能ではありません。「泥棒に追い銭」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、話し合いによる停戦の余地を否定することは、権力同士の衝突を正当化することになってしまわないでしょうか。

きわめて政治学的な考え方をすれば、マスコミの花形は政治部で幹部も政治部出身が多いですから、合理的選択の否定による「殿ご乱心」という報道が一つの傾向になっているのはある意味当然なのかもしれません。私のような考えはおそらく少数派でしょうね。

一刻も早い停戦のため、日本は何ができるでしょうか。国会でのロシア非難決議でしょうか。経済制裁でしょうか。プーチンが倒れるのを待つのでしょうか。違うと思います。NATO加盟国のトルコでも仲介人になれた。NATO加盟国ではない日本が話し合いの仲介に乗り出すか、せめてアシストするという選択肢はないのでしょうか。一国民としてどう考え、どう行動するのか、まだできることはあるように思います。



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