実は私の腰骨は6本あります。通常は5本です。もう25年前、よみうりランドで3歳だった長男を抱き上げようとしてギックリ腰になりました。翌日、なんとか出勤して、勤務先を抜け出して初台商店街の整形外科に行き、レントゲンを撮ってわかりました。
私「私は先天的な障がい者だったということでしょうか?」
医師「腰骨が6本の人はたまにいるよ。体のバランスはとりにくいだろうけど、日常生活に支障はないから障がい者ではないよ」
妻「背が高い(私は183cm)のは骨1本分胴長だったからなのね」
母「おかしいわね。そんなふうに産んだつもりないんだけど」
津久井やまゆり園で19人が殺害されてから7月26日で10年が経ちました。Googleでは私の自宅から車で32分の近さです。被害者の詳細はプライバシーもあり一部しか明かされていませんが、多くは先天性の重度障がい者だったと言われています。
植松聖死刑囚は、新聞報道によると、やまゆり園での勤務時代から「障がい者は社会にいてはいけない」と主張し始めていて、元園長と「それはナチスの主張だ」と口論になり辞めたそうです。
今でも「自分は良いことをしたのに、どうして罪に問われるのか」と思っているとのことです。
たしかに第二次世界大戦中、ナチスは「T4作戦」を実行し、障がい者を計画的に大量殺害しました。例えば作家ヨーゼフ・ロートの妻フリーデリケも精神障害で、世紀のバリトン歌手フィッシャー=ディースカウの兄マルティンも知的障害で殺されました。「T4」とはティアガルテン4番地の意味。戦後に建てられたベルリンフィルの本拠地ホールに隣接する一帯には、T4作戦本部跡があり、現在は慰霊碑が建っています。世界最高峰の楽団の隣に、大量殺人の慰霊碑があるのです。
戦時中の日本においては、障がい者の直接殺害計画はありませんでしたが、「国家の戦力・生産力に寄与するかどうか」で人間の価値を測る戦時体制と優生思想によって、障がい者は不妊手術や隔離、そして過酷な物資不足の中での生存の脅威に晒されるという形で、強い排除と人権侵害を経験しました。
憲法で基本的人権が定められる前から、倫理的・宗教的理由で、障がい者を共同体の一員としてケアする場合もありました。一方で、「障がい者は社会にいらない」という理由で排除された歴史が確かにあるのです。
植松死刑囚が被害者を殺すかどうか決めた基準は、「喋れるかどうか」でした。喋れなければ、排除は正しい。植松死刑囚は、そこに人間の生死の「線引き」をしたのです。
私は腰骨のことで日常生活に支障をきたしてはいません。ただ、もし人間を「普通かどうか」だけで選別する社会なら、私も「普通ではない」と判断されるかもしれない。しかも私は昔から「変わっている」と言われ、イジメの対象として共同体から排除されてきました。小学校の担任からも「変わっている」とサジを投げられ、ようやく中学のクラスで居場所を見つけたのです。
「『植松死刑囚だけがおかしい』と言って済ませていいのだろうか。『役に立つ命』『役に立たない命』という発想は、私たちの社会から本当に消えたのだろうか」この答えはまだ出ていないと私は感じています。
もしもの時の「線引き」は私のところまで来るかもしれない。本気で恐ろしいと思っています。
