餅なし正月(Echotamaのブログ)

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また長文失礼します。今日は妻と一緒に正月の買い出しに行きました。要するにセバスチャンですな。

妻は当たり前のように「信州産がいいでしょ」と言って年越し蕎麦を買います。私も妻の習慣に合わせて年越し蕎麦を食べますが、実は私の実家では年越し蕎麦を食べませんでした。信州なのに。そして元日に煮うめんを食べていました。雑煮を食べるのは二日からです。それ以前に餅を食べるのはいけないことだとされていました。理由はわかりません。私の母は嫁いできたときこの習慣に驚いたそうです。同級生に訊いても、こんな習慣は我が一族だけのようでした。

一族という概念は私の妻を含め都会育ちの方には理解されにくいかもしれません。長野県千曲市の旧戸倉町にはなぜかXX姓が数百軒固まっているのですが、我が一族はその中で16軒だけウチワ(内輪?)またはドウセイ(同姓?)と名乗っていて、今でも毎年オイナリサン(お稲荷さん?)という集会をしています。何代前に分家したとかわかる家もあるのですが、分からない家も含まれています。別に由緒ある家柄というわけではありません。本家は父の祖父が始めた金物屋で、旧北国街道の宿場に位置していますが、庄屋は坂井家だということは町中誰でも知っていますし、本陣は宮本家です。どちらでもない我が家系はつまり大した家系ではないのです。我が本家は代々兵五郎(ひょうごろう)という名を名乗ったことはわかっていますが、金物屋になる前には何をしていたのかわかりません。曽祖父は名前の通り鍋釜の荒物も売りましたが、トタン、鉄骨、モルタルなどの建材類で儲けたようです。要するに土建屋さんの片棒を担いで公共事業に寄生したのですね。私の父はその本家の三男で、おかげで戦時中にもかかわらず秋田まで仕送りで進学させてもらえたのです。そして昔はウチワから町会議員を出す決まりになっていて、町長を出したこともあります。国政選挙はウチワで羽田家を応援。利益誘導ミエミエです。今は利益誘導もできなくなって、本家は商売が傾いて無くなってしまいましたが。私の実家の隣家も由緒正しい旧家のXXさんなのですが「うちとは違う系統」なのだそうです。同姓なのにドウセイではなく異民族というバルカン半島状態です。私は町の集会とかで「あんたは何ていう子かね」と訊かれたとき、XXと答えても意味がなく「金物屋の教師の次男です」と答えると「ああ、あんたが金物屋の系統の子か」で通じました。「金物屋の系統」に変な子がいるという噂が立っていたようで。

正月に餅を忌むという習慣を調べてみたら、同じ信州では東筑摩郡筑北村の旧坂井村の一部の地区が見つかりました。元旦だけ餅を食べないという点は我が実家と共通していて、地図上では隣り合っていますが、間には冠着山(姨捨山)があって、ほとんど交流はありません。もちろん親戚はいません。筑北村のブログで「四阿屋山(あずまやさん)の信仰」によるとなっていますが、私の実家から四阿屋山は見えません。もっと調べてみたら、三が日は食べないとか、餅そのものを搗かないとか、様々なヴァリエーションはありますが、福島県大沼郡金山町田沢(奥会津の更に奥)、群馬県高崎市、東京都足立区四ツ家(現在の青井1丁目、2丁目付近)、愛知県知多郡美浜町、和歌山県田辺市鮎川小川地区、愛媛県各地(山間地域)などが確認できました。青森から鹿児島まで広く分布し、坪井洋文氏の「イモと日本人」にある餅無し正月の風習の残る地域の分布図によれば、長野県、愛媛県、和歌山県、岡山県に特に集中しているとの記事も。なんと柳田國男大先生や折口信夫大先生もこの習慣を研究していました。由来については諸説あり定まっていないようですが、縄文人が稲作を受け入れるうえで昔の習慣を残そうとしたとか、稲作ではなく畑作の文化であるとか、平地ではなく山地の文化であるとか、いずれも埴原和郎氏から斎藤成也氏につながる縄文人+弥生人の日本人重層構造モデルが見えてくるではありませんか!

イモと日本人―民俗文化論の課題 (ニュー・フォークロア双書)

  • 作者: 坪井 洋文
  • 出版社/メーカー: 未来社
  • 発売日: 1979/12/01
  • メディア: 単行本

実は私の耳アカは湿っています。大半の本土日本人の耳アカは乾いていて劣性遺伝することが判明しています。つまり本土では耳アカが乾いている弥生系の大集団が流入・繁栄したことが推察されます。一方、縄文人のDNAを色濃く残すと言われているアイヌ人、沖縄人では耳アカが湿っている人が多いそうです。私には縄文人の血が濃く流れている。だからWグリの『縄文』の演奏を聴いた時に、縄文の炎が燃え立つのをありありと感じるのかもしれません。