亡き父の9回忌(Echotamaのブログ)

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またまた長文失礼します。今日は私の父の9回目の命日なのです。しかもちょっとデリケートな話。

父は酒が好きでした。50台半ばまで毎日眠るまで飲んでいました。飲むとよく喋りました。「(教師なので)一日中教壇で喋ってきた後によくあれだけ喋れるね」と、母と陰口を叩いたものです。

ある日の話題は、戦時中の学徒勤労動員の苦労話でした。校史を調べると1944年6月25日~9月25日。当時父は旧制中学4年生(現在の高校1年生)。動員先は、航空機のエンジン製造工場と、水力発電所の工事現場でした。特に水力発電所の工事は、ひもじくて、つらかったそうです。場所は「木曽のタキコシ」と聞いていましたが、今調べてみると、長野県木曽郡の王滝村に滝越という地名があり、そこの三浦発電所が1945年1月10日運用開始となっていました。たぶんここに間違いないでしょう。木曽の最奥部です。

現在の三浦発電所(長野県木曽郡王滝村滝越)

現地まで「乗っても命の保証はしません」と書かれた森林鉄道の貨車に長時間揺られ(もっとも森林鉄道は地域住民の足として日常的に使われていたそうです。現代とは安全意識が違ったようです)、粗末な小屋に寝泊まりし、慣れない肉体労働、見張り役の憲兵には殴られ(憲兵が「指導!」と言うと鉄拳制裁が待っていました。父曰く「奴らは殴るのが仕事だった」。ただ戦後に捕虜等虐待で刑罰を受けたBC級戦犯は憲兵が多く、一般市民が徴兵されて憲兵になったばかりに、中には死刑となった悲劇もあり「私は貝になりたい」というドラマも作られています)、出てくる食事はフスマパン。これはフスマ(モミガラ)を混ぜ込んで増量したパンで、食べても腹持ちが悪く、フスマは消化されず便にそのままの形で出てきたそうです。これでも、父たち旧制中学生は、未成年で将来のエリートということで「マシな扱いをされていた」のだそうです。

同じ工事現場には朝鮮人(この言葉の使用には議論があることは承知しており、現在は公式には「朝鮮半島出身労働者」と言うらしいですが、父の言葉通りに記します。以下同様)がたくさんいたそうです。発破や高所作業などの危険工程は朝鮮人の仕事でした。彼らが高所を昇ったりするのを、地上から「オォーッ、スゲェ!」と言って眺めていたとのこと。危険工程を黙々とこなしていく朝鮮人労働者たちは、まだ少年だったった父には、屈強な仕事師集団に見えたそうです。そういえば父はサッカーなどの日韓戦で日本が負けたりなんかすると「やっぱ朝鮮人は鍛え方と根性が違うんかやあ」と言ってましたっけ。

父が動員中のある日、知った顔の朝鮮人の姿が見えないので、仲間の朝鮮人に「あいつはどうした?」ときくと、黙って首を横に振りました。それだけでわかったそうです。「あ、死んだか」。

皇国臣民は死ぬのが美徳とされた時代。とはいえ「おらっち(俺達)は朝鮮人を『二等国民』と呼んでた。人を馬鹿にするとき『このチョーセンジン!』と平気でせった(言った)もんだ。朝鮮人が死んでも当たり前だと思ってた。おらっちは本当にひでぇ、取り返しのつかねぇことをしたんだ。どんなに謝ったって謝りきんねぇ」。

「おらっち」だけが特別だったのでしょうか?

どれだけの朝鮮人が働いて、どれだけ亡くなったのか、正確な調査はされていないようです。しかしどうやら、わが故郷の長野県は北海道に次いで2番目に朝鮮人労働者が多かったらしいこと、戦時中の朝鮮人労働者の死者に限定しても、少なくとも北海道の雨竜ダム・住友上歌志内炭坑、長野県の松代大本営建設地・天竜川の平岡ダム、福岡県の三井三池炭鉱等に慰霊碑があることがわかりました。木曽川水系で亡くなった朝鮮人がいたかどうかはわかりませんでしたが、福岡大学に「戦前の木曽川における発電所工事と朝鮮人労働者」という論文が存在していました(さすがに福岡まで内容を確認に行ってはいませんが)。「おらっち」だけが特別ではなさそうです。

徴用工問題で、労働は任意だったのか強制だったのか、賃金の不払いはあったのかなかったのか議論されています。それも大事な論点かもしれません。私はその正否を判断する立場にはありません。しかし問題の根幹は、朝鮮人を死が伴うような過酷な労働環境におき、それを当たり前とした差別意識にあるのではないでしょうか。

個人のレベルでは、朝鮮人を差別しなかった人もいたでしょう。殴らなかった憲兵もいたでしょう。しかし「差別はなかった」と言えるでしょうか。しかも現在でも差別があります。新大久保は周知の事実ですし、私が以前勤めていた川崎でもありました。もしも私が仮に「実は私は在日なんです」と言ったとしたら、今と同じようにお付き合いしてくれなくなる方がいるかもしれません。もしそうだとしたらとても悲しいことだと思います。

在日韓国・朝鮮人の一部が反社会的勢力の構成員の一部になっていることは承知しています。日本で得られた資金の一部が半島に送金されているのもおそらく事実でしょう。賠償は日韓請求権協定が国際法上有効だと考えています。慰安婦像を見て正直良い気持ちはしません。それでもなお、悔恨の念を持っていた亡父の息子として、かつて日本人が朝鮮人を差別し、そして今もなお差別が存在していることについて、率直に謝りたいと思うのです。