慶應ワグネルの定期演奏会について語るなら、盟友のワセグリ(早稲田大学グリークラブ)の定期演奏会についても語るのが、フェアというものでしょう。

メインステージの「しゅうりりえんえん」は、おそらく物凄い演奏になりそうです。男声版全曲初演は、実は慶應ワグネル。ちょうど20年前、慶應ワグネル第131回定期演奏会でした。
畑中良輔先生が、荻久保和明先生に指揮を依頼したのです。当時、水俣病発見(1956年)から50年。つまり今年は70年の節目の年です。
大いに皆様の参考になると思い、以下に慶應ワグネル第131回定期演奏会プログラムでの荻久保和明先生のメッセージと、畑中良輔先生と荻久保和明先生との対談を文字起こししました。荻久保和明先生のメッセージは、畑中良輔先生へのラブレターですね。ちなみに当時畑中先生は84歳、荻久保先生は53歳です。
僕の前にそびえ立つ巨人
僕の前にそびえ立つ巨人であると思っている。その全人的活動の大きさにおいて右に出るものはいない。
まず、僕が学生のころから良く知っていた評論活動。現代音楽への不毛な論議が多いなか、氏の評論は際立っていた。自分の感情に正直に、いいものはいい、悪いものはダメ、その感動を伝えるのに明快な視点と語り口。人の感動に、それを伝える文章で、再感動できるなんてめったにない。すてきだ。
次に声楽家としての教育活動。今もなお衰えることを知らないその情熱には敬服するしかない。しかも若者にそれを伝えるのに一切の妥協もコビもなく、作詩者の、作曲家の、氏しか知りえないような歴史的真実をもって、その作品にせまるのである。どんなに厳しいことを言ってもその人の人としての尊厳だけは決して傷つけない。細やかな愛情もあわせもっている。すばらしい。
そして、合唱の指揮活動。僕は忘れない、ワグネルが演ったブラームスの“ジプシーの歌”。冒頭の“He”でドギモをぬかれた。音がひびきが、それのこめられたものが、違う。多田作品における極限のpp、あやしい、悲しみの極みのハーモニーも凄い。“水のいのち”の輪廻のごとく再現される一楽章。いずれも声楽家としての第一級の美学が強い意志の顕在として棒にでる。いいなあ。
僕は、氏を超えようとも超えられるとも思わない。厳として僕の前にそびえ立つ大きな山である事実が重要なのだ。
氏のすすめがなければ僕がワグネルに客演することはあり得ない。だから、この“しゅうりりえんえん”において、かつてのワグネルからはあり得ないようなひびきと音楽を奏でてみたい。
畑中先生、このような機会を与えていただいて本当にありがとうございます。いつまでも僕の前にそびえ立っていて下さい。
Special interview
特集 畑中良輔先生×荻久保和明先生
対談「しゅうりりえんえんを語る!」
第131回定期演奏会パンフレットの特集は、専任指揮者畑中良輔先生と、第四ステージを指揮される荻久保和明先生の対談記事をお送りします。
Q.今回、荻久保先生に<しゅうりりえんえん>をお願いすることになった経緯についてお話いただけますでしょうか。
畑中先生(以下畑中):はじめ私は大久保混声合唱団の演奏を聴いて、すごく心に食い入ってきて、これはむしろ男声でやったほうがもっとダイナミックなものができるんじゃないかって思ったのです。そして演奏はワグネルかな、と。
荻久保君も男声版に意欲的で、ワグネルでも機会を狙っていたのだけど、しばらくお蔵入りになってしまった。あるとき完成してコンクール等で一部演奏されたと耳にして、近年ワグネルが精神でも声でも少し上向きになってきたし、団員との意見も一致したので、いっそ全力投球してみようかと。
けれど今の僕の体力と忙しさからして、やり終えたとたんにバタンと倒れるような気がして(笑)それだったら荻久保音楽は彼の情熱に支えられているから、彼が棒を振ってくれれば、それはもう十分にいけると思って。
それから彼の指導力のすばらしさ。今回練習を行って、荻久保君の情熱に現役も引っ張られたことでしょう。彼は小学生相手でも、見事に自分のペースに引き込んであきさせない。引っ張り出すものがね、すごく大きいの。だから彼なら僕より直接的な音楽ができるだろうと思って、彼に頼んだのよ。
Q.荻久保先生が、<しゅうりりえんえん>を書こうと思われるにいたった経緯について、お話いただけますか。
荻久保先生(以下荻久保):きっかけは、水俣高校に音楽の指導に行ったとき、『みなまた海のこえ』の本をもらったんです。それで帰りの飛行機でずっと読んでいた。
水俣病のことも石牟礼道子さんのことも知らなくてね。丸木さんの絵は、故郷の隣町の東松山市に美術館があって、『ひろしまのピカ』でも知っていたんだけど。それで飛行機の中で――作曲しよう、と思い立った。
それは――やはり「ひかりのたき」や「彼岸花」の絵に惹かれた。少ない言葉で表現された情景と、絵の表現力がすばらしくて。
しばらくして、たまたま新座少年少女合唱団から新曲委嘱のオファーがきて、「どんなに難しくてもいいですか」って聞いてみたら「いいですよ」って言うものだから、この曲を難しくしてみた(笑)
その後女声版の初演があってこれはすぐに出版と録音もされたんですが……ぜんぜん聴かれることも歌われることもなくて。混声版も初演のあとしばらく同じ状態だったけど、大久保混声合唱団の上演と録音から、しだいに聴かれるようになっていった。その録音は、畑中先生にも雑誌にすばらしい批評を書いていただいて。
畑中:同時に「やりたい」と思ったのよね。
荻久保:で、男声版の話がきた……と。
オペラ<しゅうりりえんえん>への野望
荻久保:八枚の絵を選んで作曲したときから、二幕によるオペラ化を頭に描いて作曲しました。前半の四曲、人間が出てこない物の怪の世界が、第一幕にあたる。後半の四曲で、ちよが生まれ、死に、挽歌があって、昇天――ひかりのたきに至る。
そういう二幕もののオペラを念頭に描いています。ただ僕は自分で台本が書けないからパートナーを探しているんです。
畑中:オペラにおいて台本は難しい問題だね。文学者に書かせると冗長になって結局カットしたり、音楽とあわせると言葉が立たなかったり。R.シュトラウスとホーフマンスタールなんて喧嘩ざんまいでしょ。
この題材はオペラには面白いかもね。ヤナーチェクばりになるかな?完成させられるかは、今回の定演で成功するかにきっかけがかかっているわけだね(笑)
いまのワグネルの可能性
畑中:ワグネルでね、音楽にもこれほどの社会的アピールができる、というのをやりたいんですよ。ただウットリしているだけじゃない、メッセージを含んだものを……
今のワグネル現役なら、それですごいものができる予感がするけど。今は集中力と持続力が凄くあります。合宿でも、朝10時から夜9時半まで必死に喰らいついてくる。「今の若者は……」なんてよく言うけど、僕はワグネルに関してそれは当てはまらないと思う。自分で苦しみにぶちあたって何かを発見しよう、という連中だから…なんてことを言うとみんな乗ってくるんだよね(笑)
荻久保:そうですね。僕も初回六時間もの練習でしっかりとやれましたし。
むしろ僕のほうがファーストコンタクトの印象を聞きたいんだけど。
司会:大きな刺激を受けたと思います。
荻久保:ただ反応はちょっとクールだよね、返事がなかったり。声には七色の変化が出ているのにね。
畑中:そう。顔の変化やリズミカルなものに昔っから弱いんです。僕のせいかな?(笑)
Q.荻久保先生はワグネルから直接、振っていただきたい、という依頼を受けられたわけですが、そのときはどう思われましたか?
荻久保:嬉しかった。ワグネルで振るのは今までになかったことだったし、永遠にないだろうと思っていたから。
畑中:僕はいつか<縄文>もやってみたいのだけどね。縄文時代ってのは人間がいいハーモニーをしていた時代で、頭にしっかりといれておきたいんだ。
司会:ワグネルの先生は、畑中先生北村先生に佐藤先生、と固定的でしたが、今回は荻久保先生をお迎えすることになり、昔からのワグネルを知る人には大きな驚きを与えたことと思います。
畑中:彼も丸くなってきたからやりやすいと思うよ(笑)
出来上がったころ一度聴きに行くからね。
Q.お客様にはここを聴いてこう感じてほしい、といった部分はありますでしょうか。
荻久保:正直に言って、水俣病を「告発しよう」という意図は、ないんだ。政治的なプロパガンダにはしたくない…
畑中:僕としても、人間が人間を傷つける、ということは訴えたいのだけど、それはあくまで心の問題だから。
Q.最後に一言お願いします。
畑中:ワグネルの激情と持続力と、荻久保先生の情熱とがかみ合って、説得力のある演奏が生まれるよう、専任指揮者として願っていますよ。
荻久保:僕はとにかく、ステージ上のワグネルを向いて、何かを作り上げたい。
お客さんを向くことはできないけど、棒の振りはじめから終わりまで、お客さんを背もたれに持たれかけさせたくない。
わぁっ、なにが始まるんだ……そう思わせたまま、最後まで行きたい。
司会:先生方、どうもありがとうございました。
先生方、ご多忙の中どうもありがとうございました。まだまだ貴重なお話がございましたが、紙面の都合上一部を割愛させていただきました。ご了承下さい。
平成18年10月吉日 西麻布ラ・レゼルブにて収録
司会:齋藤幹、山岸英生
編集:河合広明
【付記】
◆20年前にもこの文章を読んでいたはずなのですが、畑中先生がワグネルで「縄文」をやりたいと思っていたというのを読み、あらためて衝撃を覚えました。もし今のワグネルが「縄文」をやるとしたら、佐藤正浩先生、福永一博先生、現役諸君はどちらの先生にお願いするでしょう。福永先生だったら?興味深いです。
◆佐藤正浩先生がワグネルを1995年(第120回定期)に指揮し始めてから、この第131回だけ佐藤先生の指揮がないのです。しかし「皆の様子が見たいからと忙しいスケジュールの合間を縫って」信州の志賀高原での夏合宿までお越し下さったとのこと。ご指導のブランクは全くなかったのですね。
